「百聞は一見にしかず」といいますが、そのことわざには実は続きがあります。
「百見は一考にしかず、百考は一行にしかず」。
心では変化を求めているのに、考えたり想像したりしているだけでは何も変わりません。そんなときは、とにかく「行動」してみるべきです。
無理に大きく動く必要はありません。ボクシングの「ジャブを打つ」気持ちでエネルギーを送っていれば、必ず周りの何かに「作用」します。小さな行動が次の行動を呼び、波紋のように次々と変化が起こっていくでしょう。
もしもAかBかで迷ったら、少しでもメリットがあると思うほうへ動いてみましょう。
脳には「自分の行動を正当化する」働きがあるので、多少デメリットがあっても「これを選んでよかった」と思えるようになるはずです。
百回考えるより、まずは、一歩踏み出してみること、それをきっかけに新しい扉が開いて、思いもよらない世界が広がるかもしれません。
2016年12月24日
2016年12月23日
「あと少し・・・」が、口癖の人に
若い間は適度な欲望を持つことは大切ですが、歳を取っても執着しているのは見苦しいものです。天国には何も持っていけませんし、遺産がどうなるかと未練を残していくのもつまりません。結局最後はみんな捨てて、生まれたままの裸になって旅立つのが理想です。
人を羨ましいと思う気持ち、憎らしいという気持ち、悔しいと思う気持ちの三つは、若いうちは生きるためのバネになりますが、いざ人生を楽しもうと思うと邪魔になります。これをまず捨てると、気持ちはすーっと楽になりシンプルに生きられるはずです。
愛着・執着を減らしていくと、人生はずっと楽になります。
人を羨ましいと思う気持ち、憎らしいという気持ち、悔しいと思う気持ちの三つは、若いうちは生きるためのバネになりますが、いざ人生を楽しもうと思うと邪魔になります。これをまず捨てると、気持ちはすーっと楽になりシンプルに生きられるはずです。
愛着・執着を減らしていくと、人生はずっと楽になります。
2016年12月22日
「山」が待っている・・・コツコツと続ける
アランは、「欲しいものはすべて山と同じようなもので、私たちを待っており、逃げてゆきはしない。だが、それゆえ、よじ登らなければならない」と言っています。
山とは、自分の夢であり目標です。目標を定めたら、後は山頂に向かって進めばいいだけです。神は、なんの夢も目標もない人には、何一つ与えません。絶えず夢や目標を持ち続けて、それを目指して努力し続けることが大切です。
登る山を決めたら、まず一歩を踏み出すことです。それを黙々と繰り返していれば、どんなに気の遠くなるような高い山でも、またどんなに遅々たる歩みであっても、必ず頂上に立つことができます。すべてのことは、これと同じなのです。
山とは、自分の夢であり目標です。目標を定めたら、後は山頂に向かって進めばいいだけです。神は、なんの夢も目標もない人には、何一つ与えません。絶えず夢や目標を持ち続けて、それを目指して努力し続けることが大切です。
登る山を決めたら、まず一歩を踏み出すことです。それを黙々と繰り返していれば、どんなに気の遠くなるような高い山でも、またどんなに遅々たる歩みであっても、必ず頂上に立つことができます。すべてのことは、これと同じなのです。
2016年12月21日
運命は自分持ち
不思議なもので、成功した人は「運がよかった」といい、成功しなかった人は「運が悪かった」とこぼすものです。
何が「幸運」で何が「不運」なのでしょう。
運のよい人は、「おかげ」を知り、不運の人は「他の原因」にします。
この違いはどこから生まれてくるのでしょうか。
運に恵まれた人は努力を惜しまなかった人であり、運に見離された人は、自らあきらめた人です。
その人の人生(運命)は常日頃のその人の考え方・思い・言行によって創られていきます。
神様や誰か他の人によって創られているわけではありません。
運命は自分持ちなのです。
何が「幸運」で何が「不運」なのでしょう。
運のよい人は、「おかげ」を知り、不運の人は「他の原因」にします。
この違いはどこから生まれてくるのでしょうか。
運に恵まれた人は努力を惜しまなかった人であり、運に見離された人は、自らあきらめた人です。
その人の人生(運命)は常日頃のその人の考え方・思い・言行によって創られていきます。
神様や誰か他の人によって創られているわけではありません。
運命は自分持ちなのです。
2016年12月20日
身の回りの多くの恵みに感謝
針ほどのことを棒ほどに感謝をすれば、必ず棒ほどの結果が生まれるものです。
考えてみれば、私たちは、太陽や空気や水の恵みを、あたりまえと思ってはいないでしょうか。
むしろ自然の恵みにさえ不平やグチを言っているのではありませんか。
あらためて、針ほどにしか感じられない恵みを棒ほどに感謝しましょう。
「切り株に休んだらお礼を言って立つことだ」・・・石川洋(托鉢者)
考えてみれば、私たちは、太陽や空気や水の恵みを、あたりまえと思ってはいないでしょうか。
むしろ自然の恵みにさえ不平やグチを言っているのではありませんか。
あらためて、針ほどにしか感じられない恵みを棒ほどに感謝しましょう。
「切り株に休んだらお礼を言って立つことだ」・・・石川洋(托鉢者)