ラクに生きている人は、感謝が多いようです。イヤなことにも感謝する。もちろん、よかったことも感謝します。
何をやってもトントンうまくいく人と、反対に何をやってもうまくいかない人の違いはたった一点 「感謝」です。
ラクに生きてる人は、「感謝」が多い。
でも、「いいことがあったら感謝する」では普通です。
だって、「いいこと」なんてめったにありませんから、感謝が少なくなってしまいます。
それよりも、イヤなことにも感謝する。(イヤなことは自分を我慢強くさせたり、学習させ向上させるようにできています) もちろん、よかったことにも感謝するんです。
大きく広い目で見るとすべては自分を向上させるため、良い方向へ導くために起こっています。
日記カテゴリの記事一覧
2019年11月11日
イヤなことにも感謝する
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2019年11月10日
本を読む。そして、実践する
いいと思う本に出会ったら何回も読んで、徹底的に読み込んで、その本に書いてあった良いと思ったことを、さっさと実践しましょう。
1500円の本を10回読めば、1回150円になります。そう考えると安いものです。
読めば読むほど無限の価値が広がっていきます。
本をほとんど読まないで自分の狭い考え、わずかな経験だけでは、人生で出会う様々な艱難辛苦に対処することも難しいでしょう。
多くの先人が体験したり経験したことを、どうやって考え切り抜けたかを本に書き残してくれています。有難いことです。
良い本を読んで先人達の優れた知恵を自分のものにしておきましょう。
そうすると悩みが少なくなり、いつも穏かでいられ、毎日が、人生が、楽になります。
1500円の本を10回読めば、1回150円になります。そう考えると安いものです。
読めば読むほど無限の価値が広がっていきます。
本をほとんど読まないで自分の狭い考え、わずかな経験だけでは、人生で出会う様々な艱難辛苦に対処することも難しいでしょう。
多くの先人が体験したり経験したことを、どうやって考え切り抜けたかを本に書き残してくれています。有難いことです。
良い本を読んで先人達の優れた知恵を自分のものにしておきましょう。
そうすると悩みが少なくなり、いつも穏かでいられ、毎日が、人生が、楽になります。
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2019年11月09日
すべては学びであり、教えである
人生が私たちを蹴り、殴るときには必ず何らかの教えがあります。
それがどこから来たのであれ、そこから何かを学ぶよう、形を変えた祝福です。
お釈迦さまは次のように言われました。
「賢き者が不運と呼ぶものは何もない。いかなる人生の逆境も、いかにそれを活用すべきか知るなら、自らの成長の踏み台となる」と。
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2019年11月08日
足ることを知る
足る事を知って、世間的な物欲、即ち財産、地位、名誉等に超然として、たとえ清貧簡素な生活でも悠々楽しみましょう。
「何も贅沢しなければ幸福になれないと言うことはない」 (武者小路実篤)
「あるがままにて満足するもの万歳」 (武者小路実篤)
「ほんの少しのもので、賢者は幸せになる」 (ラ・ロシュフーコー)
「幸福はみずから足れりとする人のものである」 ( アリストテレス )
「足ることを知る者は富めり」 (老子)
「幸福の最も大きな障害は、過大な幸福を期待する事である」 (フォントネル)
「若し諸の苦悩を脱せんと欲せば、まさに知足を観ずべし。知足の法は即ち是れ富楽安穏の処なり。知足の人は地上に臥すと雖も、猶お安楽と為す。不知足の者は天堂に処すと雖も、また意にかなわず」
(遺教経)
「知足は第一の富なり」 (法句経)
「足ることを知る者は、身貧しけれども心富む。得ることを貪る者は、身富めども心貧し」
( 伝家宝 )
「何も贅沢しなければ幸福になれないと言うことはない」 (武者小路実篤)
「あるがままにて満足するもの万歳」 (武者小路実篤)
「ほんの少しのもので、賢者は幸せになる」 (ラ・ロシュフーコー)
「幸福はみずから足れりとする人のものである」 ( アリストテレス )
「足ることを知る者は富めり」 (老子)
「幸福の最も大きな障害は、過大な幸福を期待する事である」 (フォントネル)
「若し諸の苦悩を脱せんと欲せば、まさに知足を観ずべし。知足の法は即ち是れ富楽安穏の処なり。知足の人は地上に臥すと雖も、猶お安楽と為す。不知足の者は天堂に処すと雖も、また意にかなわず」
(遺教経)
「知足は第一の富なり」 (法句経)
「足ることを知る者は、身貧しけれども心富む。得ることを貪る者は、身富めども心貧し」
( 伝家宝 )
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2019年11月07日
運命は自分次第で決まっていく
中東に、こんな昔話があります。
一人の青年が、ある村の入り口にいた老人に、「私は、新しい住居を探しています。この村は、住み心地はいいですか」と尋ねました。老人は、「お前が以前暮らしていた村の住み心地はどうだった」と問い返しました。青年が
「最悪でした」と答えると、老人は「この村の住み心地も最悪だ」と答えました。
数日後、別の青年が村の入り口にやって来て、老人に「私は、新しい住居を探しています。この村は、住み心地はいいですか」と尋ねました。老人が、「お前が以前暮らしていた村の住み心地はどうだった」と問い返すと、今度の青年は「とてもいい村でした」と答えました。
すると、老人は、「この村の住み心地も、お前にとってはいいものになるだろう」と答えました。
この昔話が意味していることは、「人の人生は、その人の考え方次第なのだ」ということです。
うまくいかないことに不平不満を言えば、どのような場所へ行っても、結局はうまくいきません。しかし一方、自分の人生を肯定的に考えることができる人は、どこへ行こうと満足する人生を送れます。
運命は、自分次第で決まっていくのです。
一人の青年が、ある村の入り口にいた老人に、「私は、新しい住居を探しています。この村は、住み心地はいいですか」と尋ねました。老人は、「お前が以前暮らしていた村の住み心地はどうだった」と問い返しました。青年が
「最悪でした」と答えると、老人は「この村の住み心地も最悪だ」と答えました。
数日後、別の青年が村の入り口にやって来て、老人に「私は、新しい住居を探しています。この村は、住み心地はいいですか」と尋ねました。老人が、「お前が以前暮らしていた村の住み心地はどうだった」と問い返すと、今度の青年は「とてもいい村でした」と答えました。
すると、老人は、「この村の住み心地も、お前にとってはいいものになるだろう」と答えました。
この昔話が意味していることは、「人の人生は、その人の考え方次第なのだ」ということです。
うまくいかないことに不平不満を言えば、どのような場所へ行っても、結局はうまくいきません。しかし一方、自分の人生を肯定的に考えることができる人は、どこへ行こうと満足する人生を送れます。
運命は、自分次第で決まっていくのです。
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