2016年07月16日

何事も真剣に考え過ぎないこと

実のところ、私たちは、一度も生まれていなければ消滅することもありません。

たった一つの全体意識なのです。

本来あなた自身には形はないのです。

このことを忘れているとき、すべてが深刻過ぎるドラマになっていくのです。

肉体はたくさんの感情や思考が通過するパイプのようなものです。つまり波動バイブレーションの通路です。

「思い込み」に気づくことができたら、それを選択しないとも外すことも可能です。

あなたという存在は、想像を絶する、あらゆるすべての情報を潜在的な状態で含有している意識です。

あらゆる出来事、状況、境遇を深刻に受け止めないことです。

あたかも、映画を観ているように・・・。

2016年07月15日

苦悩を生み出すものに執着しない

私たちは自分に「思い」があるとき、それを実現させようと考えます。その思いが簡単に叶うことなら問題はないのですが、難しいことであればあるほど、私たちはそれが良い目標であり、望ましいことであると思い、なんとか実現させようとします。そして実現できなかったとき、自己嫌悪になったり、落ち込んだりしてしまいます。

目標を設定し、努力し、頑張り、必死になることが好きな人はそれでよいのですが、そのような生き方で悩んだり苦しんだり、むなしさを感じるという人は、初めからそのような「思い」(執着)を持たない、という解決方法をとってみてはいかがでしょうか?

負担になっている重い「思い」を捨ててしまうのです。

人間の価値は、高い目標を達成したとか、業績を残したとか、そのように目に見えることだけで簡単に決まるものではありません。

2016年07月14日

苦痛はなぜ現れるか

人は苦痛を敵と見なします。けれども、決して苦痛は敵ではありません。苦痛は自己の生命が当たり前の道を歩まないで正道を踏みはずして間違った道を歩んでいることを知らせてくれる信号です。

それは私たちの忠実な信号手であり、自分が人たるの道を再び歩むように警告してくれる天の使いです。私たちが正道(神)を忘れて、自分の勝手次第のことをやっているときに再び自己を反省させて正道(神)の方へ心を振り向けさせてくれるのが苦痛なのです。

無常のものを常住のものと思い、朽ち果つべきものを永遠のものと思い、ただの幻に過ぎないものを実在だと思って、それらに執着していた心を一変させ、無常を無常とし、幻を幻とし、朽ち果つべきものを朽ち果つべきものと悟らせて、本当に常住なもの、金剛不壊(こんごうふえ)なものに心を振り向けさせてくれるのが苦痛なのです。

2016年07月13日

人をどうこう言えるほど立派か?

自分というものは、人のことを、どうこう言えるほど立派ではありません。

「あの人はまちがっている」と指摘しても、自分がその立場になったら、同じことをする可能性があるのです。

「あの人は嘘をつく、けしからん」と言っても、自分だって不利になったりその場を逃れようとすると、思わず嘘をついてしまうんじゃないでしょうか。

「あの人は頼りにならない」と言っても、自分が同じ立場になったら、人から信頼される振る舞いができるでしょうか。

他を批判したり悪口や文句を言っていると、必ずその報いは自分に返ってきます。

2016年07月12日

自分の置かれた環境(状況)に意義を見い出す

起こってくる一つひとつの出来事には、良い面も悪い面もあって、たとえ今は美しいとは思えなくても、そこに何か意味のあることを信じて生きることが大事です。

聖書の中に「運命は苛酷だが、摂理は温かい」という言葉があります。

現実がどれほど苦しくても、神は大きな摂理の中で一人ひとりを大事にされていること、自分の考えが絶対ではないということを信じ続けていく。そういうものが信仰ということです。

苦悩してこそ人は自らの内面を探究することになるし、優しくて人に安心感を与える人になれます。大切なのは、自分の置かれた環境にどれだけ大きな意義を見い出すかということなのかもしれません。