2016年09月15日

「一時語」と「永久語」

自分が何か失敗したとき、「いやぁー、まずかったな、失敗いちゃった」そして、さらに「私はダメな人間だな」と言ったとしましょう。

さて、この言い方は大事なことを学ぶチャンスになります。前半の言い方(これは一時語と考えます)はこれで結構ですが、後半の言い方(こちらは永久語と考えます)は絶対にやめなければいけません。

つまり、前半の言い方に続く後半の言い方が、自分の人生を不幸にする方程式だということです。

すなわち、失敗をしでかしたときには、何々で失敗をした、誰々に迷惑をかけた、ということでいいのです。

誰にでも起こりうる失敗ごとから、普遍化して自分の性格まで規定してしまうことはないのです。「いつも」とか「一年中」とかは、悪いことが起きてしまったときに、決して言ってはならない「永久語」なのです。

これとは反対に、自分がかかわってやったことで、うまくいったときは、「いやぁー、よかった、よかった、うれしい」そして、さらに「私は価値のある人間だな」と考えましょう。

自分がかかわった良い結果には、「永久語」で自分に言い聞かせることが大事なのです。これが、自分の人生を幸福にする方程式なのです。

起きた事実を率直に受け止めて、考えたり言葉にするのが「一時語」です。起きた事実の結果を見て、使い分けるのが「永久語」ということです。

人は、自分の頭で考えたり、言葉に出して言ってみたりすることに、引き付けられるものです。だから、悪いことや嫌なことに引き回されることを避けるためにも、些細なことですが、言葉を使い分けることで幸せになるキッカケをつかんでみましょう。

言葉には偉大な力があります。

2016年09月14日

いつもこう在りたいものです

何事も恐れず、誠実な魂を持ち、ひたすら英知を追い求める。

いつでも人に手を差し伸べる用意をし、食い意地をはらない。

神を敬い、一人でこつこつと勉強することを愛する。

謙虚でまっすぐな心を持ち、万物を慈しみ、怒りにかられず、他の人たちがありがたがるものにも執着しない。

冷静で、思いやりがあり、人の過失を責めない。

苦しむ者たちにやさしくし、足ることを知り、欲望に振り回されない。

温和で控え目ながら威厳をもち、忍耐と不屈の精神と純粋さの入り混じった気高い人間性を備え、復讐心に燃えることもなく、決して自分を過大評価しない。

このような資質こそ、真理を愛する者がすぐそれとわかる特徴であると、「バガバット・ギータ」に語られています。

わたしたちもこうでなければなりません。

2016年09月13日

評価の結果は一人ひとりの価値観が作っている

私たちがいかに自分の見たいように見て、聞きたいように聞いているか。

これは想像以上です。

私たちは先入観の塊りみたいなものです。思い込みの束、観念の束みたいなものです。

一人の人間に対しても、百人いたら、百通りの評価があると思います。

ある人物について、個々の眼鏡、その眼鏡に合えば「素敵」ですが、合わなければ「ひどい」わけです。

対象への評価というのは、現実そのものが作っているのではなくて、その事象(人物)を見た私たち一人ひとりの価値観が作りだしているのです。

要するに、人それぞれ何にせよ見方(捉え方)が違うということです。

2016年09月12日

問題を作り出しているのは自分の心です

何か問題が起きたとき、いちいち苦労して問題を解決しようとしなくても、自分の視点を変えることで、問題そのものが消えてしまいます。

問題というものは、起きている出来事そのものではありません。

その出来事に対する解釈に不快感がともなう時に、その出来事が問題として見えてくるのです。

もしそこに不快感がなければ、その出来事は問題として認識されません。

たとえば、子供が勉強しないのが問題だという時、その親は子供が勉強しないことに、心配やいら立ちや不快感を持っているわけです。でも同じように勉強しない子の親でも、そのことに心配やいら立ちを感じなければ、勉強しないことは問題には見えません。

起きている現実は中立で、良いも悪いもないのですが、それを受け取る側の見方によって、問題にもなり、単なる事実にもなるのです。

もしあなたが問題を抱えているとしたら、それは自分の心が問題として映し出しているということです。その出来事に対して、不快感を持っているから問題に見えているのです。

それでは「不快感」というのは何なのかというと、それは、その出来事に対するあなたの立場です。

あなたがその出来事に対して、被害者の立場を取っている時です。自分が被害者だと思うと、そこに不快感が生まれます。

問題を作り出しているのは自分の心です。

起きている出来事は中立であり、いいも悪いもありません。ただ起きることが、起きています。

いままでもそうだったし、これからもそうです。

それにもかかわらず、私たちは立場や見方によって、独自に判断し、解釈し、こういう問題が起きていますという物語を作っているわけです。そしてそれをつなげて、人生と呼んでいるのです。

2016年09月11日

実践することが大事です

ありがたい教えがそこにあるからといって何になるでしょう。

自分の耳でありがたい教えを幾度も聞いたからといって、いったい何になりましょう。

聞いただけで、教えがあなたを直したというわけではありません。

教えを書いたものを大事にしているからといって何になりましょう。

それだけで、あなたと尊い教えは何の関係もありはしないのです。

しかし、あなたが教えを実践するならば、教えがあなたの中で生きます。

教えの道をみずからの足で歩むならば、苦しみはなくなるでしょう。

善い教えを実践しましょう。