2018年07月29日

イライラする考え方をやめる


相手を変える必要なんかどこにもありません。その人を認めて、自分が「気にならない人」になったら、それで「終わり」です。

自分の価値観を押しつけないで「気にならない人」になる。

すなわち、自分の心を広げる。許容量、寛容度を上げるということです。

すべてのことに鷹揚になって、イライラしなくなったら自分が一番ラクだということです。

そもそも、宇宙にはイライラする現象があるのではなくて、イライラする考え方をするから、そのことにイライラするのです。

2018年07月28日

実践しているか?言ったように生き、やってる事を言う

聖書や仏典などの本を十日間読めば、誰でもキリストやお釈迦様と同じことを話せるようになります。




しかし、だからといってその人が、キリストやお釈迦様と同じように周囲から尊敬されることはありません。




それは、それはその人が「実践」をしていないからです。


みんながその人の話を聞くようになるかどうかは、話が立派かどうかではありません。


人が耳を傾ける理由は、その人が、本当に「そう生きているか」どうかだけです。




いくら能書きが立派でも、家族や部下やまわりの人に対するときの態度に、その人のレベルがおのずと表れています。




常に自分自身が言っているように生きていることが大切です。

2018年07月27日

足腰より脳を鍛える・・・

脳は「使えば使うほど進化していく」という素晴らしい機能を備えています。だから、脳を酷使することこそ、もっとも脳を長生きさせる方法なのです。

脳を酷使することこそ最も大事な健康法の一つです。

「歳をとってあまり頭を使わなくなった」 「歳をとってから、そんな難しいことを考えても仕方がない」
などと言うのは、まったくの逆効果です。

そんなふうに脳を甘やかすと、脳は急速に退化していきます。

106歳のf地三郎 先生はよく「足腰よりも脳を鍛えろ!」と言ってました。

脳がレベルダウンしてしまったら、足腰がいくら健康でも、人生が味気なくなってしまうからです。

年齢を重ねたら、なおさら新しいことに興味を持ち、挑戦し、脳に刺激をどんどん与えていかないといけません。

もう歳だから「やらない、知らない、興味がない」というのは大問題です。

いくつになろうと、脳は刺激を求めています。

2018年07月26日

歳を重ねても、何かすることがなければいけない

人間は歳を重ねても、何かすることがなければいけません。

ある一定の歳を迎えたからといって、すべての活動を引退し、漫然と余生を過ごすなんてとんでもないことです。

私たちは生きている限り、何か価値があること、社会に貢献できることをするべきです。

どんな人にも、その人なりの「社会への役立ち方」が必ずあります。

五十代の人には五十代なりに、六十代なら六十代なりに重ねてきた経験と知恵があります。

是非とも、あなたの経験と能力をフル活用して「世間の役に立つこと」をいくつになっても続けてください。

七十歳や八十歳になったからといって、人生は終わりではありません。まして、それより若い人たちには持て余すほどの時間が残っています。

「自分の人生はまだまだ続く」ということを本気で理解すれば、気持ちも前向きになり、新しいことへの挑戦意欲も湧いてきます。

いま、あなたがやるべきことは何なのか。

そのことを真剣に考え、ぜひとも一歩踏み出してください。

2018年07月25日

「老感」を持つから「老人」になる

「老感を持つ」とは、読んで字のごとく「自分が老いた」という感覚、感情を持つことです。

人は無意識のうちに「六十代とはこんなもの」「七十を越えてまで、こんなことをすべきでない」と考えてしまうものです。

「スイスへ旅行したいけれど、この歳で飛行機の長旅は厳しいか・・・」 「周囲に迷惑をかけたらどうしよう・・・」などと勝手に思い込んでしまうものです。

ですがその発想こそが一番ダメなのです。そんな「老感」を持っているから、どんどん「本物の老人」になっていってしまうのです。

歳を重ねたから老人になるのではなく、「老感」を持つから「老人」になるのです。

歳だからと理由をつけて、何もしないことが人を老人にさせてしまうのです。

「老感」なんて今すぐ捨てて、十代のような気持ちで何でも挑戦を続けるべきです。

以上のようなことを、2012年、今年8月に106歳の誕生日を迎えられた昇地三郎先生が仰っていました。