2016年08月05日

しがみつかない生活

学問によって、人は清らかにはなりません。

誰かの教えによって、人は清らかになるのではありません。

知識がいくらあろうとも、道徳をどれだけ知っていようとも、はたまた、戒めを守った生活を送っていようとも、そのことで人は清らかになるわけではありません。

そんなことにこだわらないこと、何かにしがみつかないこと。

それでいて平安であること。

そこに清らかさが生まれる。

2016年08月04日

煩悩で重くなる

あらゆる想像や空想、噂の評価、心配、思いわずらいや悩み、悲しみや喜びの期待。

それら煩悩は、いつのまにか生まれてきては心に住みついているものです。

けれども、いつまでもだらだらと引きずっていてはいけません。

つなげて重くなった煩悩をあいかわらずぶらさげて、重い生活を繰り返していてはなりません。

それを断ち切るように。惜しんだり、振り返ったりしないように。

誰かがしてくれるのではありません、自分でなさなければ、煩悩は切断できないと知りましょう。

2016年08月03日

まず自らが範を示せ

本当の意味で何かを教えたいのであれば、みずからが実践して見せることです。

「一生懸命働け」と命じるためには、まず自分が懸命になって働いている姿を見せなければなりません。

「勉強しなさい、本を読みなさい」と子どもたちに言うためには、自分も好きなことばかりしたりテレビばかり見たりしないで、規則正しく生活し常に勉強して、その範を示さなければならないのです。

私たちが人に何かを教える時、相手はこちらの言葉だけを聞いているのではありません。

こちらの人間性を見ているのです。相手は、こちらが今まで経験してきたことを見抜こうとしているのです。

「人に教える」ということを生易しく考えてはいけません。

2016年08月02日

不幸を呼ぶ言葉

悪口、侮辱、罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせられ、そしりを言われ、よしんば言い返したくとも、そういった悪い言葉を自分の口にのせてはなりません。

いったん口にした悪い言葉の数々がいともすみやかに引き寄せるのは、さらなる苦痛、悩み、わずらいでしかないからです。

悪い言葉は相手よりもさらにいっそう自分を傷つけるばかりか、この身を不幸に落としてしまうからです。

2016年08月01日

判断を放棄せよ

よい悪い、旨い不味い、美しい醜い、大きい小さい、遠い近い、強い弱い、等々、人は何事につけても価値をつけ、判断を下します。

しかし、それは正しい道ではありません。

なぜならば、価値をつけられないものに価値をつけ。勝手に計っているからです。

よって、その価値にもとづいた判断も正しいものではありません。

しかも、その価値と判断こそが人に苦しみをもたらすのです。

もう苦しみたくないのならば、価値づけをやめ、判断を棄てなさい。

そして、そのような濁りのない澄み切った世界で生きなさい。