2016年11月13日

幸せの基準を下げると幸せに成る

道端で咲くタンポポを見て、「スゴイ、かわいいな〜」って思えたら、わざわざ海外に出かけて行ってアルプスを見なくっても、幸せですよね。

幸せって、幸せの基準を下げることができたら、幸せなんです。
「毎日、毎日三度のご飯が食べられて幸せ。毎日、自分ちでお風呂に入れて幸せ。自分の足で歩けて幸せ。目が見えて、耳が聞こえて幸せ」って思える人は本当に幸せ者です。

「あれがない、これがない」「もっと、もっと」「ああなりたい、こうでなければ」とないものばかり、他と比べてばかりいてはいつまで経っても幸せになれません。

今すでに与えられているモノの有難さを理解できたなら誰でもすぐに幸せになれるんです。本当は、あなたは、今幸せなんですよ。

息が出来る幸せ、口から食べれる幸せ、自分の足で歩ける幸せ、それらに早く気ずいて下さい。

2016年11月12日

幸せは、手に入れるものではなく感じるもの

幸せとは、いいこと、楽しいことが起きることではなくて、自分にとって、いわゆる面倒なこと、大変なこと、汗をかかなくてはいけないこと、神経をつかわなくてはいけないことなどが、何も起きないこと。それこそが最大の奇跡なのです。

今、私たちは、日常生活そのものが幸せの塊りという中で生きています。それにもかかわらず、幸せの本質を知らないまま「どこかに幸せがあるに違いない」と勘違いして、自分を叱咤激励し「もっと私が頑張って成長すれば、幸せが手に入るんだ」と思いながら生きています。

しかし、幸せは努力して手に入れるものではありません。
また、幸せの本体みたいなものが、どこかにあるのでもありません。

私(じぶん)が「幸せだなぁ」と思うだけ、そう思った瞬間に幸せが
百パーセント手に入るんです。

2016年11月11日

成徳達材

徳を高め、大成させることを成徳(せいとく)といいます。
能力を練磨し、上達させることを達材(たつざい)といいます。

人は自分を創るために学ぶのです。そして、人生のどんな艱難辛苦に遭っても動じないように、自分を修めていくのです。自分を創るのは利己のためではありません。世のため人のために自分を役立てるためです。自分を役立てるためには、自分の徳を大成し、自分の才能・能力を練磨し向上させていかなければなりません。それが「学」の本質です。

成徳達材することによってよりよい運命を創っていくことです。
高村光太郎の詩の中に「持って生まれたものを深くさぐって強く引き出す人になるんだ。天から受けたものを天に報いる人になるんだ。それが自然とこの世の役にたつ」という言葉があります。

成徳達材に気づいた詩人が、それを若い世代に伝えようとした詩でしょう。

2016年11月10日

私たちは自分次第で変わる世界にいる

同じ光景を見ても、ある人には良いことに思え、別の人には悪に映ります。その光景の実態の真相は、善でも悪でもなくて、見ている人が決めています。

自分の心の鏡に何を映すかによって、この世は善にも悪にも見えるのです。

この世に生きていれば、色んな価値観の相克から、様々な様相が出現します。しかし、その中でも何を「見つめる」のかは、自分が選択できます。

生きることが苦しい人は、何を見てもその中に苦しさしか見つめません。しかし、どんな中にも幸福を見ることができるはずなのです。どんな場合でも、「生きているだけでも有り難い」という原点まで視点を落とすと大丈夫です。必ず変わっていきます。

人間は、何事も良い解釈・全肯定を徹底して生きていけば、この世は天国に見えるのも真実です。同じ生きるならば、この方がお得です。他人や運命などは関係なくすべては自分次第なのです。

2016年11月09日

出来事や状況・人生は受け取り方で良くも悪くもなる

人生は私たち一人ひとりが、それぞれの目を通して見ている映画です。

そこに何が起こっているかは大した違いはありません。

それをどのように受け取るかが重要なのです。

どんなことが起こっていても、どんな出来事に遭遇しても肯定的に明るい未来が開けるように捉えていけば、常に穏やかに平安に暮らせます。