2018年09月04日

幸も不幸も「私」のこころ次第

不幸も悲劇も存在しません。そう思う心があるだけです。

世の中はすべて「空」「中立」です。

同様に、「幸福」という名の現象も存在しません。

現象としてはすべて「空」「中立」です。

今の状態、今起っていることを「幸福」と思うか「不幸」と思うかは、すべて「私」の心しだいです。

2018年09月03日

「こんな状況に見えるけど、何か必ずいい意味があるに違いない」と考える・・・

あなたが意味を与えるまで状況はまったく意味がありません。

あなたが良い意味を与えることによって常にうまくいきます。

どんな状況も、すでにその中に本質的に決まっている意味はありません。

あなたが与える意味によって、そこから得られる結果が変わってきます。

ですから、あなたのハッピーな人生にとっていかにも矛盾して見えるもの(状況)でも肯定的な意味を与えることによって、それが障害に見えなくなります。

障害を見ようとしないで、「それは自分のハッピーな部分の延長なのだ、ただ、今の自分の目には、どのように肯定的なのかが、まだ見えていないだけなのだ」と思ってください。

2018年09月02日

宇宙のしくみ

人生を「上向かせる」には、まず人生についての考えを明確にしなければなりません。
どうなりたいのか、何をしたいのか、何が欲しいのか、よく考えなさい。
はっきりするまで、考えなさい。

そして、はっきりしたら、今度はほかのことは考えず、ほかの可能性を想像しないこと。

否定的な考えは頭から追い出しなさい。悲観主義を一掃しなさい。疑いを捨てなさい。不安を拒否しなさい。最初の創造的な考えをしっかりつかんで放さないように心を鍛えなさい。

あなたの考えがはっきりした確かなものになったら、それを真実として語りなさい。はっきり声に出しなさい。創造の力を呼び出す偉大な号令を使いなさい。
「これが私である」という号令を。

他の人に、「これが私である」と宣言しなさい。「これが私である」というのは、宇宙で最も力強い宣言です。

あなたが何を考え、何を語るにしても、「これが私である」という言葉をきっかけにものごとが動き、体験できるようになるのです。

宇宙が動く仕組みはそれだけです。宇宙は「これが私である」という言葉に応えます。

2018年09月01日

どんどん進歩していくと・・・

今は相手が価値のあるものを寄こすときだけ、自分も価値のあるものを与えると合意します。しかし、そんなことはなくなっていくでしょう。

与えるのも分け合うのも自然になるから、契約を破るとか破らないというより、契約そのものがずっと少なくなってきます。
契約とはモノやサービスの交換についての取り決めですが、交換があろうがなかろうが、モノやサービスを与えるようになります。

そうなれば、一方的に与えることが救いになります。そのとき、神が経験したことに気づくからです。つまり、ひとに与えるのは自分に与えること。行ったものは戻ってくる、と。

だから、何を「とり戻せる」か、心配しなくてもいいのです。何を「与える」かだけを考えていればいいのです。

生きるとは、最上のものを得ることではなく、最上のものを与えることです。

私たちは、忘れていますが、人生は得るためにあるのではありません。

生命とは、与えるためにあるし、そのためには、人を赦す必要があります。
特に、期待したものをくれなかった相手を赦さなければなりません。

そうなると、私たちの文化の物語は一変するでしょう。現代の文化でいう「成功」は、どのくらい自分が「得た」かで測られています。どのくらいの名誉や金や力や所有物を蓄積したかで測られています。

新しい進んだ文化では、「成功」とはどのくらい人に「蓄積」させたかで測られます。
人に蓄積させればさせるほど、私たちも苦労なく蓄積することになります。

「契約」も「合意」も「取引」も「交渉」も、与えると言う「約束」の履行を強制しあう訴訟も法廷もなくなってきます。

2018年08月31日

もっと素晴らしくなれる


どんなに「良い」と思っていても、もっと良いことがあります。
自分の考え、イデオロギー、宇宙観がどんなに素晴らしくても、もっと素晴らしくなれます。
シェイクスピアが言うように「天と地の間には、お前の哲学では及びもつかないことがある」のだから。

だから、開かれていましょう。オープンでいましょう。古い真実が心地良いからといって新しい真実の可能性を閉め出してはいけません。心地良さのゾーンが終わるところから、人生ははじまるのです。

しかし、性急に人を批判しないことです。人の「間違い」は、昨日の自分の「正義」でした。
人の過ちは、いま訂正した昨日の自分の行動でした。
人の選択と決定が「有害」で「他人を傷つけ」、「自分勝手」で「許しがたい」としても、今までの自分自身もそうだったのです。

「どうしてそんなことをするのか、想像も出来ない」と思うのは、自分が来た道を、そしてお互いこれから行く道を忘れているからです。