2016年09月13日

評価の結果は一人ひとりの価値観が作っている

私たちがいかに自分の見たいように見て、聞きたいように聞いているか。

これは想像以上です。

私たちは先入観の塊りみたいなものです。思い込みの束、観念の束みたいなものです。

一人の人間に対しても、百人いたら、百通りの評価があると思います。

ある人物について、個々の眼鏡、その眼鏡に合えば「素敵」ですが、合わなければ「ひどい」わけです。

対象への評価というのは、現実そのものが作っているのではなくて、その事象(人物)を見た私たち一人ひとりの価値観が作りだしているのです。

要するに、人それぞれ何にせよ見方(捉え方)が違うということです。

2016年09月12日

問題を作り出しているのは自分の心です

何か問題が起きたとき、いちいち苦労して問題を解決しようとしなくても、自分の視点を変えることで、問題そのものが消えてしまいます。

問題というものは、起きている出来事そのものではありません。

その出来事に対する解釈に不快感がともなう時に、その出来事が問題として見えてくるのです。

もしそこに不快感がなければ、その出来事は問題として認識されません。

たとえば、子供が勉強しないのが問題だという時、その親は子供が勉強しないことに、心配やいら立ちや不快感を持っているわけです。でも同じように勉強しない子の親でも、そのことに心配やいら立ちを感じなければ、勉強しないことは問題には見えません。

起きている現実は中立で、良いも悪いもないのですが、それを受け取る側の見方によって、問題にもなり、単なる事実にもなるのです。

もしあなたが問題を抱えているとしたら、それは自分の心が問題として映し出しているということです。その出来事に対して、不快感を持っているから問題に見えているのです。

それでは「不快感」というのは何なのかというと、それは、その出来事に対するあなたの立場です。

あなたがその出来事に対して、被害者の立場を取っている時です。自分が被害者だと思うと、そこに不快感が生まれます。

問題を作り出しているのは自分の心です。

起きている出来事は中立であり、いいも悪いもありません。ただ起きることが、起きています。

いままでもそうだったし、これからもそうです。

それにもかかわらず、私たちは立場や見方によって、独自に判断し、解釈し、こういう問題が起きていますという物語を作っているわけです。そしてそれをつなげて、人生と呼んでいるのです。

2016年09月11日

実践することが大事です

ありがたい教えがそこにあるからといって何になるでしょう。

自分の耳でありがたい教えを幾度も聞いたからといって、いったい何になりましょう。

聞いただけで、教えがあなたを直したというわけではありません。

教えを書いたものを大事にしているからといって何になりましょう。

それだけで、あなたと尊い教えは何の関係もありはしないのです。

しかし、あなたが教えを実践するならば、教えがあなたの中で生きます。

教えの道をみずからの足で歩むならば、苦しみはなくなるでしょう。

善い教えを実践しましょう。

2016年09月10日

無心の幸福感・・・(ただ幸福を感じていましょう)

ほとんどの人は直線的にものを考えます。

毎日まじめに働いていれば、きっとそのうちいいことがあるだろうと願っています。それが「直線的思考」と呼ばれるものです。

そこには絶え間のない連続性があり、「自分」という存在が時の流れのなかで、過去から未来に向かって生きている、という感覚を持っています。極めて多くの人がこのような感覚にとらわれた生き方をしています。

ところが実際には、その一貫した時の流れを描いているのは自分であって、時は流れることなく、いつも「いま」でしかありません。

目の前の景色は常に変わり続けますが、私たちはいつもそれを「いまここ」で見ているだけで、私たちは少しも動いていないのです。

直線的思考はいつかどこかで幸せになろうと言いますが、「いつか」も「どこか」も空想上の産物で、実際には存在していません。存在しているのは「いまここ」だけです。

「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く」という標語がありました、「短い人生、そんなに急いでどこへ行く」ということです。

実は私たちはどこにも行っていません。これからもどこにも行きません。

だって、「いまここ」しかないのですから。未来や過去といった時間の概念は幻想で、本当は「いまここ」しか存在しないことに気づけば、自分は回り道をしたとか、人生を失敗したとか、遅れをとったとか、先に進んでいるとか、そんなバカなこと、勘違いなことは言わなくなります。

理解すべき最も重要なポイントは「人生はどこへも向かっていない」ということです。

まさに「いま」 幸せであるかどうか・・・それが唯一のチェックポイントです。

「いま」幸せを感じないで、いつ感じるというのでしょうか。

まさに今、この瞬間には何ひとつ問題も悩みも存在していないことに気づいて、幸せな気持ちで過ごしましょう。

まさに今、優しく素直な気持ちを取り戻し、自分も周りも幸せであることを願いましょう。

秘訣は、「考えないこと」、考えないで、ただ幸せを感じようとすることです。

それが無心の境地で、幸福感はそこに副産物のようにして湧き上がってきます。その幸福感は、何かの原因の結果ではなく、私たちに最初から無条件に与えられているものです。

2016年09月09日

人生の目的地・・・

人生に目的地を持つと、「こう生きるべきだ」という生きる姿勢が生まれます。

まじめに、善良に、責任感を持って、崇高に、気高く、懸命に生きれば、きっとあとで褒めてもらえるし、天国に行ける。それが人間として目指すべき道だ。

そうじゃない生き方は、罪深く、この先悪いことが起きて不幸になるし、地獄に落ちる。

なんてことを、本気で信じてしまうのが目的地志向の生き方です。

これは長年、ほとんどの宗教が私たち人類を搾取してきた基本的なトリックです。

それはいつも未来に依存させています。未来志向になれば「いま」を忘れます。

そして目的地に着くように、失敗しないようにと、深刻さが生まれ、緊張が生まれ、恐れが生まれてしまいます。

自分はうまくいってはいないのではないか、自分の人生は間違っているのではないか、他の人に比べ劣っているのではないかと、比較が生まれ、嫉妬が生まれ、競争が始まります。

そもそも、人生にはそんな目的地などどこにもありません。

人生は目的を達するための手段ではなく、生きるということ自体が目的なのです。

だから、取り逃がしようがありませんし、失敗もあり得ません。失敗の人生も、成功の人生もないのです。

いまの自分の人生がどのように見えたとしても、それでいいのです。パーフェクトです。

いままでもずっと完璧だったし、これからもずっと完璧です。

私たちは、「いまここ」で完璧な存在なのに、そのことに気づかず何を達成しようとしていたのでしょう。誰になろうとしていたのでしょうか。

人生に克服すべき課題なんて何もないのに・・・。