2019年03月28日

あげるときには、「ただ」であげること

「自分が相手に与えたことは忘れずにいて、相手が自分に与えてくれたことは忘れる」というところから、人生の不幸が始まります。

「私は、これだけしてやったのに、相手は何もしてくれない」という思いが不幸の出発点なのです。

この「してやった」という気持ちのなかには、一種の人格的未熟さがあることに気づかなければなりません。あげるときには、「ただ」であげること、見返りを期待しないことが大切です。

特に心の問題はそうです。優しさや気遣いなど、人への愛は与えきりであり、一方通行だと思っていましょう。もし愛やお礼が返ってきたら、「得をした」と思えばいいのです。

世の中には恩知らずの数は尽きません。その恩知らずの中には、ほかならぬ自分自身も入っていることを忘れてはなりません。

「他人に何かをしてあげるときには、与えきりにして、それを忘れる。逆に、してもらったことは長く覚えておき、感謝していく」ということが大切です。

2019年03月27日

判断しない、比較しない、批判しない

ものごとを常に善か悪か、正しいか否かに分類しなくなれば、意識はもっと穏かになっていきます。

「判断」という重荷を捨てた瞬間、心の中で交わされる対話は穏かになり、無心の境地に入っていけるようになります。

定義、レッテル貼り、説明、解釈、評価、分析、判断などをやめることが、いつも穏かに平安に心を乱されないためにはとても大切です。

つまり、宇宙と一体で居る、ということです。

宇宙は、ものごとは、あらゆる事象は本来中立です。

2019年03月26日

食の自由の境地

世間には、同じ物を食べることを嫌がったり、それがいけないように思ったりする向きがあります。

ことさらに同じ物ばかり食べる必要はありませんが、違うものが得られない時は、何日でも同じ物を食べて、少しもあきません。(差し支えありません)

それでも、少しも体にさわらないという食べ方が、本当なのです。

お米のご飯。味噌汁、漬物、お茶。年がら年中、同じものを同じ方法で煮炊きし、同じように食べます。そして、いよいよおいしく、いよいよ栄養になります。

これが、食物に対する真の自由の境地でしょう。

人類はこれから大きな流れとして、健康食から少食、極少食に向かい、ついにはプラーナ食へと進化していき、食べることにあまり執着しなくなっていきます。

2019年03月25日

無理せず、急がず、はみ出さず、りきまず、ひがまず、威張らない

これは、千日回峰行を二度も成し遂げた比叡山飯室谷不動堂長寿院住職・酒井雄哉さんのモットーだそうです。

何事も精一杯やるのはいいことでしょうが、やりすぎてはよくありません。無理してやりすぎるから、プレッシャーがかかり、ストレスになります。

人間の運命には浮き沈みがつきものですから、その波に逆らわず、ゆったり構えて生きればいいんです。そうすれば、よりよく生きられるものです。

2019年03月24日

定年後は自分で変化をつくり出せ




定年前と定年後で何が大きく変わったかといえば、現役時代は、仕事が進むことで場面が切り替わり、別の行為に移ることができ、次々とシーンが転換していきました。つまり、外からの力によって動かされていました。

しかし、定年後はそうはいきません。自分が動かない限り、場面は変わらず、無為の状態が続いていきます。


単調な日が単調な日を追う。どこって違わない日。
違わぬことをする。またする。
違わない瞬間が我らを捉え、放つ。
ひと月にひと月が続く。
何が来るか、ほぼ見込み済み。
退屈も、昨日と同じ退屈ばかり。
明日が「明日」になってくれぬ。

これはギリシャの詩人カヴァフイスの詩です。

こういう状態の単調な日々からどのようにして抜け出すか?
方法は一つしかありません。

そうです、自分自身で変化をつくり出す。これしかありません。