高級とか一流と言われるものに共通しているのは、「マイルド(まろやかさ、穏かさ)」であるということに行き着きます。
世の中で優れたものになるということは「マイルド」になっていくということなのかもしれません。
人間も、怒鳴(どな)って怒ってすごい気迫を発しているという状態から、穏かな方向へ向かっていくこと、「マイルド」になっていくことが、人格が上がっていくということです。
2020年05月02日
マイルドになる
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2020年05月01日
どちらの方向へ変わるかはあなた次第
宇宙には「良い」状況も、「悪い」状況もないことを理解しておくことです。
すべてはあるがままにすぎません。
だから、価値判断をやめましょう。
また、すべての状況は一時的です。
どんなこともいつまでも同じままではなく、静止してはいません。
どちらの方向へ変わるかはあなた次第です。
すべてはあるがままにすぎません。
だから、価値判断をやめましょう。
また、すべての状況は一時的です。
どんなこともいつまでも同じままではなく、静止してはいません。
どちらの方向へ変わるかはあなた次第です。
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2020年04月30日
人生を創造しているのは自分です
何かをする理由は、ひとつしかありません。
世間(宇宙)に向かって、自分が何者であるかを示すことです。
そうすれば、人生は自己の創造になります。
私たちは人生を使って、真の自分、こうありたいと願ってきた自分を創造します。
又、ある行動を拒否する理由もひとつしかありません。
それが自分にふさわしくなくなった、という理由です。
その行為が自分の真の姿を表さないからです。
正しい自分を示したいと願うなら、自分にふさわしくないものはすべて、変えていくよう努めなければなりません。
「こんな目にあう」のは、何か、あるいは誰かのせいだと考えているかぎり、どうすることもできません。「私の責任だ」と言ったときはじめて、それを変えられます。
自分がしていることを変えるほうが、他者がしていることを変えるよりずっと容易です。
なにごとであれ、それを変える第一歩は、選んだのは自分だと認め、受け入れることです。
それから、間違っているからではなく、本当の自分にふさわしくないからという理由で、変化させる努力をしましょう。
世間(宇宙)に向かって、自分が何者であるかを示すことです。
そうすれば、人生は自己の創造になります。
私たちは人生を使って、真の自分、こうありたいと願ってきた自分を創造します。
又、ある行動を拒否する理由もひとつしかありません。
それが自分にふさわしくなくなった、という理由です。
その行為が自分の真の姿を表さないからです。
正しい自分を示したいと願うなら、自分にふさわしくないものはすべて、変えていくよう努めなければなりません。
「こんな目にあう」のは、何か、あるいは誰かのせいだと考えているかぎり、どうすることもできません。「私の責任だ」と言ったときはじめて、それを変えられます。
自分がしていることを変えるほうが、他者がしていることを変えるよりずっと容易です。
なにごとであれ、それを変える第一歩は、選んだのは自分だと認め、受け入れることです。
それから、間違っているからではなく、本当の自分にふさわしくないからという理由で、変化させる努力をしましょう。
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2020年04月29日
いい仲間のいる人生
「人の喜びや幸せをよろこんであげるだけで、徳を積むことになる」という一番簡単な徳積みのことを「隋喜功徳(ずいきくどく)」といいます。仏教の修行の中で、もっとも楽なことでしょう。
自分のまわりの人が「今日はこんな楽しいことがあってね」という話をしていたら、ただひたすら「よかったね」と言ってるだけで、「功徳」を積み重ねることになるわけです。
よい話、明るい話、楽しい話を頻繁にする「いい仲間」がいる人は、「よかったね」と喜び合えることの連続です。それだけでたくさん「功徳」を積んでいるわけですから、こんな素晴らしいことはありません。
そう考えると、いい旅(人生)とは、どこへ行くかではなく、誰と行くかによって決まることがわかります。
「いい仲間」に囲まれていれば、どこへ行っても楽しいし、また、特別にどこへ行かなくても楽しいものです。
どこかへ行くから楽しいのではなく、どんなところでもいい、ということです。
よろこび合える人間関係に囲まれて人生を歩んでいけるなら、何をしてても、台所でタクアンを切っているだけで、充分に幸せを感じられるようになります。
自分のまわりの人が「今日はこんな楽しいことがあってね」という話をしていたら、ただひたすら「よかったね」と言ってるだけで、「功徳」を積み重ねることになるわけです。
よい話、明るい話、楽しい話を頻繁にする「いい仲間」がいる人は、「よかったね」と喜び合えることの連続です。それだけでたくさん「功徳」を積んでいるわけですから、こんな素晴らしいことはありません。
そう考えると、いい旅(人生)とは、どこへ行くかではなく、誰と行くかによって決まることがわかります。
「いい仲間」に囲まれていれば、どこへ行っても楽しいし、また、特別にどこへ行かなくても楽しいものです。
どこかへ行くから楽しいのではなく、どんなところでもいい、ということです。
よろこび合える人間関係に囲まれて人生を歩んでいけるなら、何をしてても、台所でタクアンを切っているだけで、充分に幸せを感じられるようになります。
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2020年04月28日
自己の人間性を向上させ、少しでも人のために尽くす
「仏教の教えの真髄は?」と尋ねられ、松原泰道師は「上求菩提(じょうぐぼだい)、下化衆生(げけしゅじょう)」と答えられたそうです。
上求菩提は自己の人間性を向上させること。
下化衆生は少しでも人のために尽くすことです。
仏教徒でなくても、高齢になっても、そう生きてゆければいいですね。
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