2016年10月26日

先ず叶えられたことに感謝しましょう

朝、目がさめた時、感謝しましょう。眠っている間も守護されて、生きていたことを感謝しましょう。こうして今朝も生きているという事は、生きているのではなくて、全く「生かされていた」ことに他ならないのです。

そして昨日も自分の思いが叶えられたように、今日もまた自分の思いが叶えられることになっていることを想い浮かべて感謝しましょう。

「だって、昨日だって私の思いは叶えられなかったのに」とあなたはおっしゃるのですか?

そんな考えがいけないのです。無論、叶えられなかった思いもあるでしょう。しかし、その願いは「叶えられる」ために近づきつつある途上にあるかもしれないのに、「叶えられない」という思いを起こして、その実現の力を中断してしまうには、誠にまずい事だと言わねばなりません。

また実際叶えられた事柄もたくさんあるのではありませんか?

顔を洗うのに水もあったし、食事もいただけたし、空気を吸いたいのに空気も与えられたし、衣服を着たいのに衣服も与えられたし、お茶を飲みたい時お茶も飲めたでしょう。すべてこれらの事は、あなたの願いが叶えられて事柄であって、それに感謝しないで、叶えられない方面ばかりを心に留めてそれに不平を言ってはならないのです。

与えられたもの、願いが叶ったものに、「私の願いを既に叶えて下さいまして、ありがとうございます」と感謝していれば、次の願いも叶えられることになるのです。

この宇宙は意識を向けていることが再び現象化するようになっているのですから、決して悪い方に意識を向けていてはいけません。

2016年10月25日

ブーメランの法則

私たちが肉体を大切にしないならば、肉体は私たちを大切にしないでしょう。

私たちが金銭を大切にしないならば、金銭は私たちを大切にしないでしょう。

私たちが人を大切にしないならば、人は私たちを大切にしないでしょう。

私たちは、与えた所のものが与え返されるのである、ということを知らなければなりません。

私たちがある人を傷つけるならば、その報いはその人から返って来ないことがあるかもしれませんが、他の人から同じような害を自分に与えるように返ってくるのです。

私が甲に対して出し惜しみするならば、乙は私に対して出し惜しみするでしょう。

他から奪うような方法によって、富んでみても、その富はまた他から奪われるか、そうでなければ他の方法でその人の幸福は奪われるでしょう。

2016年10月24日

明るい方を見なさい

誰でも、自分は貧しい貧しいとこぼしながら金持ちになった人はいません。そんな人も支払いをケチって、少々くらいのお金を貯めることはあるかもしれませんが、相当立派な富豪になることなどは出来ません。

誰でも、いつも、「自分は身体が弱い、どこそこが悪い」とこぼしながら立派な健康を保っている人はいません。人は誰でも、自分がコトバでいう通りの人間になるのです。

よく覚えておきましょう。何でも悪い方、暗い方、不景気な方を見て、それをコトバで言ったり、心に留めてはいけません。

常に明るい方のみを、善い方のみを見て、それをコトバに言うことにし、心に思うことにしていれば、世の中のことはその通りに善い方ばかり出て来ます。

2016年10月23日

瞳を磨く

人は年齢を重ねると、身体の衰えは容易には止めることはできません。しかし、心の衰えは止めることができます。

どんなに歳を取っても心というものは磨くことができて、それは瞳に現われます。

何年も会ってなかった人に何年かぶりに会って、変わってないと感じるということは、心の歳は取ってないということなのでしょうか。

心が歳を取るってどういうことなのでしょうか?

それは、きっといろいろなことが変わっているでしょうが、瞳の輝きや色は変わらないというか、本来の自分の瞳の輝きや色を、更にきれいに磨いていくことが、心の歳を取るっていうことではないでしょうか。

瞳の輝きや色を失っていくことは、残念なことに心の歳を取っていないということかもしれません。それは人として成長していないということ。

年齢を重ねる、または心の歳を取るということは、一歳、また一歳と、美しくなるということ。人は美しくなるために生きています。人は瞳を磨くために生きています。

2016年10月22日

与えれば与えられる

「与えれば与えるほど与えられる」という法則は、あなたが信じようと信じまいと、知ろうと知るまいとそんなことに関係なく、あなたの生活にいつもその法則は行われて(働いて)います。

引力の法則があることを知ろうが知るまいがリンゴが上から下に落ちるのと同じように、どこにでも行われているのです。

もしあなたが欲しい物を得ることが出来なかったならば、それは誰の罪でもありません。あなたが他の人の欲しいものを与えたことがなかったか、与えることが少なかったに過ぎません。

もし私たちが他から与えられる事が少なければ自身が他に与えたことが少ないことを恥なさい。

私たちは他から与えられることを考えるよりも、他にどうしたら与え得るか。どうしたらサービスが完全に出来るか、そのことばかり一生懸命考えるようにしたらよいのです。