2018年04月02日

少食(愛と慈悲)が健康の原点

自分が本当に健康に、幸福になろうと思えば、自分の命だけではなく他人の命も大事にしなければなりません。

さらに、人間同士の命だけではなく、動植物の命も大事にしなければ本当の健康は得られません。

一匹のイワシや一個の卵も、同じ命としてこの世に生存する資格が与えられています。

私達はこの大切な命をいただいて生かされているのだ、ということをはっきり自覚していることが必要です。

したがって、一粒の米、一枚の菜っ葉といえども、天から与えられた大切な命として、感謝合掌していただき、決してこれを無駄にしないという考えで食事をすることが、健康法の最も大切な基本となります。

すなわちこれが少食の思想ですが、要するに、「できるだけ殺生をしない」という愛と慈悲の具体的表現なのです。しかも、愛と慈悲の行為である「少食」が、実はまた健康法の秘訣となってくるところに、偉大なる神の配慮を感じ取ることができます。

少食が守られず、過食を続けている限り、他にどのような健康法を実行し、一時的に健康になるように見えても、結局は病に倒れ、長寿を全うすることができないということです。

やはり、「いのち」を無駄にするような人間本意の横暴は、天が絶対に許し給わぬということになるのでしょう。

愛と慈悲の行為である「少食」を実行する者にのみ、真の幸せが与えられるということです。

2018年04月01日

善い事も良い考えも実行しなければ・・・何にも成らない

真面目とは実行することだ。  (夏目漱石)

もっとも簡単な返事は実行である。(イギリスのことわざ)

求められ、期待されているのは、言葉ではなく、実行。

思いついたこと、これをしたらあの人は喜ぶだろうな〜と、思うことは即実行しましょう。

2018年03月31日

モノの見方

一つひとつの事件や出来事は、すべて「見方」によって変えていくことができます。

すべてのことは全部、解釈によって変わっていきます。置き換えることができます。

マイナスにとろうろ思ったら、いくらでもマイナスにとることができますが、プラスにとろうと思ったらプラスにとることもできます。

すべてんの事象、現象、出来事、事件などは宇宙的には中立です。無記であるとお釈迦様も言われます。

肯定的に解釈していくと、肯定的な結果が生み出され、否定的に解釈していくと、否定的な結果に結びついていきます。

ものの見方を変えると、事実がまったく違うものに見えてきます。

違うものが見えてきます。

ものの見方を自由自在にコントロールできるようになると毎日、毎瞬、イライラしたり悲しんだり悩んだり悔しがったり妬んだり苦るしんだりしないで穏かで楽しく過ごせるようになりす。

これまで教えられてきたことや先入観などにあまり振り回されないことが大切です。

病気や事故はつらいことと一面的に考えている間は、それらがつらいものであり続けます。

しかし、見方を変えると、それらはまったく違う局面になるのです。

2018年03月30日

少食健康法・・・

少食によって完全に消化吸収された各種の栄養素が、六百兆ともいわれる人体細胞に供給されることにより、それぞれの細胞組織は生き生きと働き、百パーセントその生命力を発揮することができるます。

 ところがもし、過食してしまい、おびただしい栄養物が体内に吸収されると、各臓器はこれらの剰余栄養物の処理に追われて過労に陥ってしまいます。その結果、外へ向かって発揮されるべき生命力を、過剰栄養分の処理に使わなければならなくなり、大変なマイナスとなってしまいます。

 それでもなお完全に処理できず、血液は汚濁されたまま循環し、全身の細胞にそれが供給されるのですから、各細胞にとっては実に迷惑なことになります。

各臓器に対してこんな無慈悲な行為はありません。

ですから、少食によって全身の細胞に清浄な血液を供給してやり、各細胞に本来の働きをフルに発揮できるようにしてやることは各臓器に対する立派な愛の行為になります。

2018年03月29日

大人というものは・・・平静と礼儀とを失わないように取り繕える

自分が不愉快なら、不愉快な声を出してもいい、ということは少しもありません。

むしろ自分の内心がどのようであろうと、平静と礼儀とを失わないように取り繕えるのが大人というものです。

「心と行動は違っても仕方ありません。せめて心と行動が裏腹でもいいから、相手に優しくしなさい」 とイエス・キリストは教えたそうです。

お愛想を言えというのではありません。

誰にとっても、現世はうんざりすることだらけでしょう。

せめて同じ時に生まれ合わせ、声だけでも交わす縁(えにし)を持った人とは、優しく明るい声で、この一瞬をできるだけみじめでないよう共有したいものです。