2012年10月31日

不断の努力・・・・(実践)

本を読んだりして、人生で大切なことを理解したとしても、また深遠で聖なる体験をしたとしても、それが人格が高貴になることに直ちに反映するわけではありません。

それを行動に反映させていくには、地道な努力しかありません。奇跡が起きて、急に自分が変わるなんて思わないほうがいいです。

大切なのは、不断の努力、不断の気づき、実践です。

2012年10月30日

与える側に立つ

「受けるより与えるほうが幸いである」と聖書の言葉にあります。

与える側に立つと、ほんの少しでも楽しくなるし、相手が喜べば、さらに満たされます。与える方が、満足感がずっとあります。

大人になれば、与える側にまわらなければいけません。子供は、おっぱいをもらって、おむつを替えてもらって、ランドセルを買ってもらって、と全部してもらう。受けているだけでは、子供と同じです。したいことだけをするというのも幼児性でしょう。

どんな老人であろうと、体力に応じて働くべきだと思います。仕事でなくても、それこそ料理をしたり掃除をしたりして、誰かのお役に立つ。

与える側にいれば、死ぬまで壮年です。体が動かなくなっても、お茶を入れていただいた時に「ありがとう。おいしかったよ」と言えたら、喜びを与えられます。老い方や死に様を見せてあげるなど、いくらでもしてあげることはあります。

2012年10月29日

謹んで受ける

おおよそわが身に降りかかる事柄は、すべてこれを天の命として謹んでお受けするということが、私たちにとっては最善の人生態度です。

この根本の一点に心の腰のすわらない間は、人間も真に確立したとは言えません。

五十、六十にもなってまだ悩みが尽きないというのは、現にある状態をうまく受け入れられないところから起こっています。

すべてを受け入れる、過去を受け入れる、現在を受け入れる、未来を受け入れる。すると、毎日を穏やかに、不安も心配も悩みもなく送れます。

2012年10月28日

多くの恵みを頂いている

暗いところばかりを見つめている人間は、暗い運命を招き寄せることになります。

いつも明るく明るくと考えている人間はおそらく運命からも愛され、明るく幸せな人生を送ることができるでしょう。

九つまで満ち足りていて、十のうち一つだけしか不満がない時でさえ、人間はまずその不満を真っ先に口から出し、文句を言い続けます。

なぜ私たちは不満を後まわしにして、感謝すべきことを先に言わないのでしょう。

2012年10月27日

念を継がない

これは禅の言葉です。念というのはいろいろな思いということです。頭に浮かんできたあらゆる思い、考え、憎しみ、悲しみ、恐れなどを悪い方に、暗い方に発展させないということです。

禅では他人への憎しみの記憶、自分を批判するようなことを思い出すということ自体が病だ、心の病気だとします。その治療法は、念を継がないことだとするのです。

ですから禅では「念起こる、これ病なり、継がざる、これ薬なり」と言って、ふっと思い出すのも心の病なのだ、本当は思い出さないのがよい、しかし、思い出してしまったら、それを発展させないことが心の病を癒す方法なのだとしています。