人生、つまずかないといい知恵はでません。失敗は大切です。
ためになる話や言葉は、つまずいたときこそ、心に入ってきます。順風満帆のときは人の話に耳を貸さないのが我々人間です。
つまり、たくさん失敗しておいた方が、その人のためになることが多いものです。ことに若いときは、失敗したり、不幸を経験したりした方がいいかもしれません。
大切なのは不幸を不幸のままで終わらせるのではなく、不幸を経験として次に役立てていくことです。
失敗を不幸な結果として終わらせてしまうのか、それとも幸せな結果に変えるのか。
自分の心次第で、失うものを得るものに変えることができます。
失敗したと悔やんでばかりいたら不幸のままで終わってしまいますが、失敗を糧にして、新しい境地を開くことができれば、不幸は成功のスッテップになります。
すべては心の持ち方で変わるもの。失敗を恐れるのではなく、失敗してもなお、望みを捨てないことが幸せへとつながっていきます。
日記カテゴリの記事一覧
2013年07月27日
2013年07月26日
何ごとも楽しむ方法を考える
「現状に、不平不満を言う」のは簡単です。誰にでもできます。そして多くの人は、不平不満を口にします。
同じように、誰にでも出来るのに、ほとんどの人が実行してないことがあります。
何だと思いますか?
それは、「不平不満を言わずに、現状を楽しむ」ことです。
「どんな状況も楽しんでやる」という、しっかりした心構えがあれば、つまらないとか、イライラする状況下でさえも、気持ちを切り替えて楽しむことができるようになります。
現状を楽しもうとする心には、不平や不満の入ってくる隙ができません。そう考えると人生は、今よりもずっと豊かな実りあるものになってきます。
同じように、誰にでも出来るのに、ほとんどの人が実行してないことがあります。
何だと思いますか?
それは、「不平不満を言わずに、現状を楽しむ」ことです。
「どんな状況も楽しんでやる」という、しっかりした心構えがあれば、つまらないとか、イライラする状況下でさえも、気持ちを切り替えて楽しむことができるようになります。
現状を楽しもうとする心には、不平や不満の入ってくる隙ができません。そう考えると人生は、今よりもずっと豊かな実りあるものになってきます。
2013年07月25日
「思い込み」から自由になる
人はみんな「幸せになりたい」と思って生きています。ところが、そのためにやっていることの多くが、実は間違った「思い込み」に根ざしています。
「どうすれば幸せになれるか」という手段も、実はそれ以前に、「幸せになりたい」という思いそのものも「思い込み」なのです。
何故なら、私たちはありのままの自分で、もう既に幸せなのですから。
自分を取り巻く状況がどうであれ、いまの自分をどう感じていようと、私たちの真我は「幸せ」という質でできています。そのことを発見することが、本当の幸せへの道です。
ところが私たちは、「自分はこのままでは十分ではない」
「もっと素晴らしい自分にならなければ、幸せになれない」と信じています。「自分には何かが足りない」 「何かが欠けている」と思っているのです。
そして幸せになるために、あれやこれやと探し始めます。これこそが、「思い込み」の最たるものです。
「汝自身を知れ」というのは古代ギリシャの格言ですが、まさに、「自分自身が何者なのか」を見抜くことが、魂の旅のゴールです。
そのゴールは「いつかどこか」にではなく、「今、ここ」にあります。
すでに私たちはゴールにたどり着いているのです。
悟りとは、そして幸せとは、「すでに自分がゴールにいること」を再確認することに過ぎません。
「どうすれば幸せになれるか」という手段も、実はそれ以前に、「幸せになりたい」という思いそのものも「思い込み」なのです。
何故なら、私たちはありのままの自分で、もう既に幸せなのですから。
自分を取り巻く状況がどうであれ、いまの自分をどう感じていようと、私たちの真我は「幸せ」という質でできています。そのことを発見することが、本当の幸せへの道です。
ところが私たちは、「自分はこのままでは十分ではない」
「もっと素晴らしい自分にならなければ、幸せになれない」と信じています。「自分には何かが足りない」 「何かが欠けている」と思っているのです。
そして幸せになるために、あれやこれやと探し始めます。これこそが、「思い込み」の最たるものです。
「汝自身を知れ」というのは古代ギリシャの格言ですが、まさに、「自分自身が何者なのか」を見抜くことが、魂の旅のゴールです。
そのゴールは「いつかどこか」にではなく、「今、ここ」にあります。
すでに私たちはゴールにたどり着いているのです。
悟りとは、そして幸せとは、「すでに自分がゴールにいること」を再確認することに過ぎません。
2013年07月24日
貝原益軒に学ぶ
貝原益軒の「養生訓」というと、健康法を説いた本のように思いますが、益軒が説いているのは、人生をいかに楽しんで生きるかということです。
「人間の命は私物ではなく天地のものだから、謹んで、よく養ひて、そこなひやぶらず、天年を長くたもつべし」 というのが、益軒の根本的な考えです。
さて、例えば、養生の術についてはこう言っています。
「養生の術は安閑無事なるを専らとせず、心を静にし、身を動かすをよしとす。身を安閑にするは、かへって元気とどこほり、ふさがりて病を生ず。これをもって、四民(あらゆる職業の人)ともによくつとむべし。安逸なるべからず。これ即ち養生の術なり」
また、日常生活の中で、面倒くさがってはいけない、と教えています。
「煩(はん)を厭(いと)うはこれ人の大病なり。これ人事の廃(すた)れ緩(ゆる)み、功業の成らざる所以(ゆえん)なり」 (「慎思録」)
面倒くさがらず、勤勉に努めないと事業は成功しない、ということです。
現代に生きる私たちも自戒しなければならない言葉です。
「人間の命は私物ではなく天地のものだから、謹んで、よく養ひて、そこなひやぶらず、天年を長くたもつべし」 というのが、益軒の根本的な考えです。
さて、例えば、養生の術についてはこう言っています。
「養生の術は安閑無事なるを専らとせず、心を静にし、身を動かすをよしとす。身を安閑にするは、かへって元気とどこほり、ふさがりて病を生ず。これをもって、四民(あらゆる職業の人)ともによくつとむべし。安逸なるべからず。これ即ち養生の術なり」
また、日常生活の中で、面倒くさがってはいけない、と教えています。
「煩(はん)を厭(いと)うはこれ人の大病なり。これ人事の廃(すた)れ緩(ゆる)み、功業の成らざる所以(ゆえん)なり」 (「慎思録」)
面倒くさがらず、勤勉に努めないと事業は成功しない、ということです。
現代に生きる私たちも自戒しなければならない言葉です。
2013年07月23日
人の価値とは・・・
真実を言えば、人の価値とは、いままで何を獲得してきたか、何を達成してきたかではありません。また、この先何をするか、何を成し遂げるかでもありません。
そこに自分の価値を求め続けるかぎり、必然的に、自己否定感との終わりなき孤独な戦いに身を投じることになります。
獲得に失敗すれば、落ち込みます。成功しても、「評価」を維持するために次なる戦いに身を投じなくてはなりません。苦しい戦いが果てしなく続いていきます。
そんなところに、私たちの本当の価値はありません。
人の価値とは、「まさに今、どのような自分で在るのか」だけです。
自分に対して、他者、社会、宇宙に対して、まさにいま、どのような自分であるのか。
ただもう、それだけなのです。
そこに自分の価値を求め続けるかぎり、必然的に、自己否定感との終わりなき孤独な戦いに身を投じることになります。
獲得に失敗すれば、落ち込みます。成功しても、「評価」を維持するために次なる戦いに身を投じなくてはなりません。苦しい戦いが果てしなく続いていきます。
そんなところに、私たちの本当の価値はありません。
人の価値とは、「まさに今、どのような自分で在るのか」だけです。
自分に対して、他者、社会、宇宙に対して、まさにいま、どのような自分であるのか。
ただもう、それだけなのです。