2017年02月09日

キレイな暮らしが心を整え平安をもたらす

外で会っている時はわからなくても、家の中を見るとその人がわかります。家はその人の生き方を表します。

部屋のゴミは心のゴミを表します。年寄りだから、ひとり暮らしだから、汚いのではなく、生活は若いときからの習慣です。年齢のせいにしてはいけません。

年寄りでもこぎれいに暮らしている人はたくさんいます。

つまり問題は、その人が人生を楽しんでいるかどうかなのです。

以前はよくテレビで片付けられない女(男)の特集をやっていました。片付けられない女性(ひと)は、心に問題を持っている場合が多いのです。つまり、家の中のゴミは、心のゴミを表しているものです。

明るく、毎日を楽しんでいる人たちはみんなこぎれいですがすがしい人が多いようです。

掃除、洗濯、炊事などの当たり前の作業こそが、心を安定させることにつながるのです。

2017年02月08日

心が乱されないことが一番です

ガンになったり、夫や妻が認知症になったり、遺産相続のことで家族が憎しみ合うようなことがあると、何のために働き、何のためにお金を貯めたのか、何のために勉強してきたのかと、今までの努力が無意味に感じられ、そんなことよりも、病気にならない、家族仲がよい、仕事も続けられるということの中に本当の幸せがあることを痛感します。

大金を儲けたり、地位が上がったり、大きな家に住んでいても、心の平安がない時には、そんなものよりも、心が乱されないことの方が大事であることがわかります。

財産、地位、名声など、持っているもの、理解しているものなどは結局意味がなく、心が乱されないこと、いつも平安で居られることが一番大事なのです。

年をとって体も病に冒され、家族にも問題がおこります。このような問題ができるだけ少ない、あるいはないということがもっとも大事なことで、そのことがわかるようになることが一種の悟りなのです。

2017年02月07日

受け止め方を変えればいい

自分の苦痛も他者の苦痛も、それを減らすには、受けとめ方を変えればいいのです。

私たちは、外部の出来事を変えることはできません。

出来事は多数によって創造されており、集団的に創造されたものを個人が変更できるほど、私たちの意識は成長していません。

だから、内的な経験を変えるしかありません。これが、生きることの王道です。

内面、受け止め方を変えると外の世界が変わります。

2017年02月06日

良い事も悪い事も考えないこと

「無門関」という善の著書に、「不思善、不思悪」という言葉が出てきます。
これは、六祖慧能(えのう)が善の本旨は、「不思善、不思悪。よいことも、悪いことも思わないことだ」と明上座に説いたものです。

「不思善、不思悪」と示されたこの教えは禅、いや仏教の根幹をなすものです。よいことを考え、悪いことは考えるなというのが常識的な教えですが、仏教ではよいことも、悪いことも考えるな、その何も考えないところに本当の心の働きがあるのだと教えます。

悪い過去は考えないようにしましょう。それには、よいことを考えないということから始めるのです。これはよいことだから考えてよいなどと思うと、嫌なことはさらに思い出されるのです。

よいことを期待しないと心は楽になります。

2017年02月05日

節食の習慣を・・・

健康、長寿はこの世のいかなる宝にもまさり、何ものにもまして求められるべきものです。

どんなに多くの富を得たとしても、病気で苦しむようでは、いったいどこに幸せがあるでしょうか?

まことに、食における慎みは、神が嘉(よみ)したもう習慣であり、自然の友でもあり、また理性の賜物でもあります。言いかえれば、あらゆる美徳がこれを基礎としています。

それは、私たちの人生観に積極性を与え、すべての営為に活力をもたらす源泉にほかなりません。

実に、宇宙の法則が節食の習慣を支持しています。この習慣を守っていれば、いかなる人生の苦しみも軽減されます。

まことに、飲食をしかるべく慎む者は、鋭い五官、冴えた頭脳、丈夫な肉体、優れた記憶力、軽やかな身のこなし、これらすべてに恵まれ、また精神的には、地上的な重圧から解き放たれて、本来の自由さを存分に味わう境地に入ることができます。

すなわち、その生涯には、心と体の両面において、現世で得られる最大限の幸福が訪れます。

もしあなたが、健康で長生きし、しかもその間に病気ひとつせず、最後には平安のうちに静かに息をひきとる、といった幸福な生涯を願うなら、飲食を最小限の量にさだめ厳格に節食することです。

そうした生活では、血液が汚れることはなく、また胃から頭へのぼる悪気(あつき)もなく、心はつねに穏やかで、気分は妙なる悦びに満たされます。

また、死についても、病気ではなく安らかに生を終えることができる幸福な死を予感できます。