例えば、自分の子供が不登校になってしまった場合、その不登校になった子供を受け容れれば、受け入れた瞬間に、その問題は何も生じなくなってしまいます。問題が解決してしまうというよりは、問題そのものがなかったということに気がつきます。
「問題だ、問題だ」と言っていた自分の問題であって、もともと不登校そのものが問題なのではなくて、それを「問題だ、問題だ」と言っている自分の心の問題として、それが悩み・苦しみになっているということです。
子供が不登校になった、学校に行かなくなった、ただそれを淡々とした事実として受け容れた瞬間に、子供にとっても自分にとっても、何の悩みも苦しみもなくなってしまうのです。
思い通りにしようとしないこと。それは目の前の現象を受け容れるということでもあります。
生老病死、生まれること・老いること・病むこと・死ぬことも、そのまま受け容れる。そうすると、悩み・苦しみから遠ざかることができます。悩み・苦しみを持たなくて済むことができます。
病気をしたら病気をしたでよし。死ぬようになったら死ぬようになってそれでよし。愛してる人と別れなければいけない状況になったらそれもよし。それについて評価・評論しない。感想(愚痴や文句)をいちいち言わない。
「ああ、そういうふうになりましたか」というふうに受け容れることが、自分にとって一番ラクなのです。
悩み・苦しみが多い人は、自分の思いがたくさんあり、それを思い通りにしなければいけない。思い通りにならなければ嫌だと思う「思い」がたくさんある、ということに気づいて、もっと楽に静かに生きるためには「思い」をあまり持たないようにして状況を受け容れることを学ぶといいでしょう。
2014年03月19日
2014年03月18日
心の向きを自分中心から、他人への思いやりに・・・
アッシジのフランシスコの「平和の祈り」の中に、「慰められるより、慰めることを。理解されるより、理解することを。愛されるより、愛することを」と、あります。
心の疲れは、自分の心の向きを自分中心から、他人への思いやりに百八十度転換させることで、癒される時があります。
でも疲れ切って、転換するエネルギーもない時もあります。そのような時は、そんな弱い自分を優しくいたわって、休めてあげましょう。私たちは時に、自分に厳しすぎることがあるようです。
心の疲れは、自分の心の向きを自分中心から、他人への思いやりに百八十度転換させることで、癒される時があります。
でも疲れ切って、転換するエネルギーもない時もあります。そのような時は、そんな弱い自分を優しくいたわって、休めてあげましょう。私たちは時に、自分に厳しすぎることがあるようです。
2014年03月17日
小さなことに大きな愛を込めて
私たちがしていることは、一滴の水のように小さなことかもしれません。しかし、この一滴なしに大海は成り立ちません。
私たちは、いわゆる偉大なことはできません。しかし、小さなことの一つひとつに、大きな愛を込めることはできます。
笑顔や「ありがとう」の一言は、とても小さな行いですが、それが次の人につながっていって、相手の心を優しくし、その優しさが溢れていって、社会に、家庭に、平和を作り出してゆくのです。
愛に溢れた行為はたとえ小さなことであっても次第に大きな輪となって社会全体を包んでゆきます。
私たちは、いわゆる偉大なことはできません。しかし、小さなことの一つひとつに、大きな愛を込めることはできます。
笑顔や「ありがとう」の一言は、とても小さな行いですが、それが次の人につながっていって、相手の心を優しくし、その優しさが溢れていって、社会に、家庭に、平和を作り出してゆくのです。
愛に溢れた行為はたとえ小さなことであっても次第に大きな輪となって社会全体を包んでゆきます。
2014年03月16日
思い込みを少なくする
世の中が自分の思い通りに運ぶことなどあり得ません。うまくいかなくて当たり前、うまくいったら有り難いと思いましょう。
世の中、「かくかく、しかじかであるべきだ」という思い込みをたくさん持てば持つほど、不自由になります。
例えば、「家族は私に優しくあるべきだ」「上司は私の立場を理解するはずだ」「私は当然感謝されるべきだ」などなど。思い込みが多いと、事実がそれにそぐわない時、苦しみも多くなります。
「優しくしてくれるにこしたことはない」「理解してくれたら、もうけもの」「感謝されたら、ありがたい」くらいに考えておくと、心が自由になります。
結局、思い込みというのは、一見、自己主張が強いようで、実はその実現において多分に、他人に依存する部分が多いのです。
世の中は決して自分の思い通りになるものではないし、いつまでもそのことなり、人にこだわっているよりも、それから自分を解放することの方が、精神衛生の上で、どれほどよいかわかりません。
世の中には、譲っても構わない、それほど懸命にしがみついていなくてもよいものがたくさんあります。
思い込みを少なくするということは、決して「いい加減になれ」ということだはなく、無駄なエネルギーを消費しないということであって、無気力になるということではなく、非生産的なエネルギーをより少なく使うということです。
世の中、「かくかく、しかじかであるべきだ」という思い込みをたくさん持てば持つほど、不自由になります。
例えば、「家族は私に優しくあるべきだ」「上司は私の立場を理解するはずだ」「私は当然感謝されるべきだ」などなど。思い込みが多いと、事実がそれにそぐわない時、苦しみも多くなります。
「優しくしてくれるにこしたことはない」「理解してくれたら、もうけもの」「感謝されたら、ありがたい」くらいに考えておくと、心が自由になります。
結局、思い込みというのは、一見、自己主張が強いようで、実はその実現において多分に、他人に依存する部分が多いのです。
世の中は決して自分の思い通りになるものではないし、いつまでもそのことなり、人にこだわっているよりも、それから自分を解放することの方が、精神衛生の上で、どれほどよいかわかりません。
世の中には、譲っても構わない、それほど懸命にしがみついていなくてもよいものがたくさんあります。
思い込みを少なくするということは、決して「いい加減になれ」ということだはなく、無駄なエネルギーを消費しないということであって、無気力になるということではなく、非生産的なエネルギーをより少なく使うということです。
2014年03月15日
幸せはいつも自分の心が決める
幸せに生きるということは、決して苦労のないことでもなければ、物質的に豊かな生活を送ることを意味してもいません。
苦労をしたおかげで、苦労のない時にはわからなかった他人の痛みをわかることができた、と感謝する心に幸せは生まれるのです。
幸せは、いつも自分の心が決めるのです。
苦労をしたおかげで、苦労のない時にはわからなかった他人の痛みをわかることができた、と感謝する心に幸せは生まれるのです。
幸せは、いつも自分の心が決めるのです。