2012年10月05日

笑顔で生きるか愚痴を言って生きるか

「人生で理不尽な出来事が起るのは当たり前のこと」と現実を受け入れて、その状況に押し潰されることなく、逆に晴れやかに、にこにこ暮らしていく。大切なのはそのことです。

私たちは問題にぶつかった時、生きる姿勢を自分で選び取ることができます。愚痴を口にせず苦しみを心の中で転がしながら笑顔で歩いていく生き方も選べます。反対に愚痴ばかり言って坂道を下降していくことも一つの選択肢です。

どんな時でも愚痴を言わない、いつも笑顔で生きていく。そう決意さえすれば、後ろから大きな温かい手で支えてくださる方はいらっしゃるものです。

2012年10月04日

最後の最後まで前向きに

「浜までは海女も蓑(みの)着る時雨(しぐれ)かな」

これを詠んだのは江戸時代の俳人、滝瓢水です。
これから海に潜(もぐ)る海女が、雨を避けるために蓑を着て浜に向かう。どうせ海に入れば濡れてしまうのに、なぜ蓑を着る必要があるのでしょうか。

浜までは濡れずに行きたい、というのが海女の気持ちなのです。
つまり人間は、少しでも自分を愛(いと)おしみ、最後まで努力を重ねていかなければならないのです。

この句の「浜」を「死}と捉えれば、一層味わいが深まります。
どうせ仕事を辞めたんだから、どうせ老い先短いんだから、と投げやりになるのが年寄りの一番よくないところです。死ぬ時までは、とにかく蓑を着る。日が照り付ければ日傘を差す。

そうして最後の最後まで前向きに、少しでも美しく立派に生きる努力を重ねていくべきではないでしょうか。

2012年10月03日

いくつになっても変化し、成長する

真に道を求める人、一流の人達はいくつになっても変化し、成長しています。四十、五十で人生がわかったように言う人は、すでに心がマンネリになっているのかもしれません。

自己自身を修め成長させることは一朝一夕にはできません。静々と人知れずやるといいでしょう。それを三十年、四十年、五十年と続けていくと、風格というものができてきます。命ある限り変化成長していくことこそ、すべての人の課題でしょう。

お釈迦さまの最期の言葉はこうです。
「すべてのものは移りゆく、怠らず努めよ」

2012年10月02日

とらわれない

この世には絶対に正しいということはありません。同じことをしても正しいこともあれば、正しくないこともあります。

自分の作った人生観に固執し、これを変えることができないと、何か起こったときに心を傷つける感情が生まれます。仕事なども、自分はこの仕事でなくてはだめだなどという仕事はないのです。何でも自分の考えを変えられれば、問題はないのですが、どうしても固執すると心を傷つける感情が生まれるのです。

「これでなくてはだめだ」などという考えはないのと同じように、「この意見は常に正しい」という意見もありません。一つの考え、一つのやり方にとらわれてはいけません。ある考えにとらわれると自由が効かなくなります。

そのことは結局私たちを苦しめるような結果になります。
私たちは「正しい」と思うことにはとらわれがちです。何ごとにもとらわれてはなりません。

2012年10月01日

心が乱されないことが一番

ガンになったり、夫や妻が認知症になったり、遺産相続のことで家族が憎しみ合うようなことがあると、何のために働き、何のためにお金を貯めたのか、何のために勉強してきたのかと、今までの努力が無意味に感じられ、そんなことよりも、病気にならない、家族仲がよい、仕事も続けられるということの中に本当の幸せがあることを痛感します。

大金を儲けたり、地位が上がったり、大きな家に住んでいても、心の平安がない時には、そんなものよりも、心が乱されないことの方が大事であることがわかります。

財産、地位、名声など、持っているもの、理解しているものなどは結局意味がなく、心が乱されないということが一番大事なのです。

年をとって体も病に冒され、家族にも問題がおこります。このような問題ができるだけ少ない、あるいはないということがもっとも大事なことで、そのことがわかるようになることが一種の悟りなのです。