2012年12月12日

他人の目

自分の価値が低いからバカにされたのではありません。相手にそのような反応をする能力しかなかったからバカにされたのです。

もしその相手が愛情豊かな人であれば、同じ自分に対して、もっと温かい反応をしてくれたことでしょう。

そのときどきに見せる相手の自分に対する態度や評価は、必ずしも自分を反映したものではなく、その相手自身のそのときの「人となり」を表しているだけです。

ところが私たちはそれを、自分自身を示す情報だと思ってしまいます。人はそれぞれが持つ価値観や判断基準、そしてその瞬間の気分によって、見たいように見ています。
それがわかると、少し楽に生きられます。人がどう思おうと、自分は自分です。

2012年12月11日

もっと気楽に

日々の経験は、気分が創り出していると言っても過言ではありません。

幸せな気分が幸せな経験を作り出します。

自分が不幸だと思えば、みじめな一日が待っています。

深刻さは敵です、もっと気楽に。

2012年12月10日

人への怒りは災いを呼ぶ

人に対して怒るな。

自分の方が正しいと思い込んで、誰かをそしるな。

人に腹を立て、その人が愚かだとか悪意に満ちているとか吹聴するな。

そんなことをすると、自分で災いを呼び寄せてしまう。

あたかも、強い風に向かって塵を投げつけたときのように、自分に不快なことが戻ってくる。

2012年12月09日

思し召すままに・・・

人生には、「こうでなければいけない」というゴールや目的地などは存在しません。

目的地がないのだから、道に迷うことも失敗もありません。

「行く末に 宿をそことも定めねば 踏み迷うべき道もなきかな」
                                       (一休さん)

2012年12月08日

何をやるかは問題じゃない

いまやっていることが何であれ、そこに心を込めて、深く自覚している状態を「禅」と言います。

それこそが生きるということです。
何をやるかが問題ではありません。
どんな自分でそれをやっているか、それが大切です。

ベトナムに、テイク・ナット・ハンという有名な禅僧がいます。ベトナム戦争時には、敵味方に関係なく多くの命を救いました。
彼は、「禅とは何か」という問いかけに、
「いまここを自覚していること」
「目の前の現実に心を込めること」
と答えました。

「皿を洗うときは皿を洗え」 と。

何をやるにも真剣に、ということ。