日本では企業や医療施設が儲けるために、薬を必要以上に投与する傾向にあります。病気のほとんどは薬に頼らず自己治癒力で治すことができます。
薬自体、体にとっては異物ですから、本来長く飲み続けていいはずはありません。薬を短期間に限って飲む場合はそれほど心配する必要はありませんが、数ヶ月、年単位にわたって飲み続ければ確実に自己治癒力が損なわれていきます。
医者にすべてを任せないで、病気は自分で治すという気概を持って、自己治癒力を高めていく必要があります。そのために毎日の生活の中で簡単にできることはたくさんあります。
その一部で、医学博士の岡本裕先生が勧めているいくつかを下記に紹介します。
1、前かがみの姿勢をやめる
常日頃から胸を張る姿勢を意識し、気がついたら
上半身を反らせたり、視線を高くして空を見上げたりして姿勢を正す。
ずっと同じ姿勢を続けないことが大切だそうです。
2、ゆっくりと深呼吸すること
3、食にこだわる
脂肪分や塩分をできるだけ抑え、加工食品を出来るだけ避け、野菜、果物、穀物、海藻類、きのこ類、発酵食品を積極的に摂取することがポイントで、これは、日々の食事を和食中心にするだけで簡単に改善できるそうです。
4、薬は控えめに
薬はすべて「有毒」ですから、必要最低限の期間に限って用いること。
不要になれば速やかに服用をやめるようにすべきです。薬が常に必要な場合は実際にはごくまれにしかありません。くれぐれも薬の長期服用は避けましょう。
5、二十四時間のリズムを大切に
規則正しい生活。決まった時間に起き、昼は仕事、夜は十二時前には眠りにつくことです。規則正しい生活が自律神経もホルモンも順調に働かせ、免疫力を高めるのです。
以上、参考にして自分の治癒力を高め、薬に頼らない体質を作りましょう。
2014年07月08日
2014年07月07日
与えたものが与えられる
私たちが人を憎めばその憎しみが自分に戻って来て刈り取られるのです。私たちが肉体を大切にしないならば、肉体は私たちを大切にしないでしょう。私たちが金銭を大切にしないならば、金銭は私たちを大切にしないでしょう。私たちが他人を大切にしないならば、他人は私たちを大切にしないでしょう。
私たちは、与えた所のものが与え返されるのである、ということを知らなければなりません。誰かを傷つけるならば、その報いはその人から返って来ないことがあるかもしれませんが、他の人から同じような害を自分に与えるように返ってくるのです。私たちがAさんに対して出し惜しみするならば、Bさんは私に対して出し惜しみすることでしょう。
多くの富める人の生活につきまとうものが、家族の病気や、家庭の不調和や、団体と団体との面白くない葛藤などによって起る不幸であるということは、その富が他から幸福を奪った結果得られたような部分があるからです。人の幸福を奪うものは又、自分の幸福を奪われるものです。
私たちは、与えた所のものが与え返されるのである、ということを知らなければなりません。誰かを傷つけるならば、その報いはその人から返って来ないことがあるかもしれませんが、他の人から同じような害を自分に与えるように返ってくるのです。私たちがAさんに対して出し惜しみするならば、Bさんは私に対して出し惜しみすることでしょう。
多くの富める人の生活につきまとうものが、家族の病気や、家庭の不調和や、団体と団体との面白くない葛藤などによって起る不幸であるということは、その富が他から幸福を奪った結果得られたような部分があるからです。人の幸福を奪うものは又、自分の幸福を奪われるものです。
2014年07月06日
深い湖のように穏かに生きる
深い湖のように穏かに生きましょう。
静かで、澄んでいて、清く、穏かな湖のように生きてみましょう。
あなたの心を深い湖のようにしなさい。
風に動かず、陽光にも暖められず、どんな音にもたじろがず、
凛として、そこのある湖。
あなたの胸に、湖を持って生きなさい。
静かで、澄んでいて、清く、穏かな湖のように生きてみましょう。
あなたの心を深い湖のようにしなさい。
風に動かず、陽光にも暖められず、どんな音にもたじろがず、
凛として、そこのある湖。
あなたの胸に、湖を持って生きなさい。
2014年07月05日
物事に「良い、悪い」がなくなる
うれしいことは単純に素直に喜び、「一見嫌なことは、自分にとってのお知らせ」と捉えるようになると、起こること自体に「良い、悪い」がなくなってきます。
小さなことは「気にしない、過剰反応しない」でさっさと流し、大きなことは「ああ、これを知らせているんだな」と気づかせるために起こっているだけだからです。
それを 「悪いこと、つらいこと、嫌なこと」と捉えると、あなたの中に 「嫌なこと」として永遠に残ります。
ところが 「このお蔭で大事なことに気づけた」とわかってから 「ハイ、次!」 と淡々と進んでいれば、心のダメージはありません。
たとえば、すごく面白い人たちと話しているとき、心に何のわだかまりも心配なこともなければ大笑いできますが、気になることがあったり憂鬱な気持ちでいるときは、あまり楽しく聞こえません。
当たり前に思えるかもしれませんが、結局、自分が楽しさを感じるかどうかは、目の前で起きていることではなくて、そのときの自分の気持ちで決められているのです。
出来事自体に「良い、悪い」という感覚がなくなると、未来になにが起こるか恐れることもなくなるし、なにが起きても「すべて大丈夫」という感覚になっていきます。
「一見嫌なことは、現状の変更をうながすための、自分へのお知らせ」であると捉えてみましょう。
とても穏かな気持ちで居られるようになります。
小さなことは「気にしない、過剰反応しない」でさっさと流し、大きなことは「ああ、これを知らせているんだな」と気づかせるために起こっているだけだからです。
それを 「悪いこと、つらいこと、嫌なこと」と捉えると、あなたの中に 「嫌なこと」として永遠に残ります。
ところが 「このお蔭で大事なことに気づけた」とわかってから 「ハイ、次!」 と淡々と進んでいれば、心のダメージはありません。
たとえば、すごく面白い人たちと話しているとき、心に何のわだかまりも心配なこともなければ大笑いできますが、気になることがあったり憂鬱な気持ちでいるときは、あまり楽しく聞こえません。
当たり前に思えるかもしれませんが、結局、自分が楽しさを感じるかどうかは、目の前で起きていることではなくて、そのときの自分の気持ちで決められているのです。
出来事自体に「良い、悪い」という感覚がなくなると、未来になにが起こるか恐れることもなくなるし、なにが起きても「すべて大丈夫」という感覚になっていきます。
「一見嫌なことは、現状の変更をうながすための、自分へのお知らせ」であると捉えてみましょう。
とても穏かな気持ちで居られるようになります。
2014年07月04日
「こうあるべきだ!」とこだわり過ぎない
これは絶対にこうでなくてはいけない、という「こだわり」が多すぎると運は下がります。
もちろん、「こだわり」は自分らしさをつくっている部分でもありますので、必要なこともありますが、「こだわり」が増えすぎると自分が苦しくなります。
「こうでなくてはいけない」というのは、「そうならなかったらダメ、うれしくなれない」ということなので、ふやし過ぎると、幸せを感じるハードルを自分で高めてしまうことになるからです。
「これは絶対にこうしなくては!」と思い込んでいると、自然の流れに任せられなくなります。自然の流れに任せていると、一見自分の望みに沿っていないように感じることも起こりますが、結果から見ると、それがあったからこそ夢の実現につながったということもあります。
反対に自分の勝手な「こうでなくてはいけない」を通そうとしたために、せっかくうまくいくように流れていたものを壊していることもあるのです。
「こうなることが幸せ」と自分では思っていた枠組みの外に、もっと幸せを感じることがあるかもしれません。自分の視野が狭いから気づかないのです。
流れに任せていたら、もっと面白そうなことがやって来たかもしれないのに、「こうでなくてはいけない」という心のブロックで、それを拒否していてはもったいないです。
「基本的にどっちでもいい」というスタンスになって柔軟になると、「いいこと」を起こす自然の流れに乗ることができます。
もちろん、「こだわり」は自分らしさをつくっている部分でもありますので、必要なこともありますが、「こだわり」が増えすぎると自分が苦しくなります。
「こうでなくてはいけない」というのは、「そうならなかったらダメ、うれしくなれない」ということなので、ふやし過ぎると、幸せを感じるハードルを自分で高めてしまうことになるからです。
「これは絶対にこうしなくては!」と思い込んでいると、自然の流れに任せられなくなります。自然の流れに任せていると、一見自分の望みに沿っていないように感じることも起こりますが、結果から見ると、それがあったからこそ夢の実現につながったということもあります。
反対に自分の勝手な「こうでなくてはいけない」を通そうとしたために、せっかくうまくいくように流れていたものを壊していることもあるのです。
「こうなることが幸せ」と自分では思っていた枠組みの外に、もっと幸せを感じることがあるかもしれません。自分の視野が狭いから気づかないのです。
流れに任せていたら、もっと面白そうなことがやって来たかもしれないのに、「こうでなくてはいけない」という心のブロックで、それを拒否していてはもったいないです。
「基本的にどっちでもいい」というスタンスになって柔軟になると、「いいこと」を起こす自然の流れに乗ることができます。