一つひとつの事件や出来事は、すべて「見方」によって変えていくことができます。
すべてのことは全部、解釈によって変わっていきます。置き換えることができます。
マイナスにとろうろ思ったら、いくらでもマイナスにとることができますが、プラスにとろうと思ったらプラスにとることもできます。
すべてんの事象、現象、出来事、事件などは宇宙的には中立です。無記であるとお釈迦様も言われます。
肯定的に解釈していくと、肯定的な結果が生み出され、否定的に解釈していくと否定的な結果に結びついていきます。
ものの見方を変えると、事実がまったく違うものに見えてきます。違うものが見えてきます。
ものの見方を自由自在にコントロールできるようになると毎日、毎瞬、イライラしたり悲しんだり悩んだり悔しがったり妬んだり苦るしんだりしないで穏かで楽しく過ごせるようになります。
これまで教えられてきたことや先入観などにあまり振り回されないことが大切です。
病気や事故はつらいことと一面的に考えている間は、それらがつらいものであり続けます。見方を変えると、それらはまったく違う局面になるのです。
2014年09月18日
2014年09月17日
「今・ここ・わたし」を楽しむ
常に意識が未来にある人は、一見ヤル気に満ちているように見えます。しかし、実は今の自分にバッテンをつけて否定し、未来に思いを馳せていて、いつも渇望感でイライラしている人も少なくありません。
今を犠牲にして、未来に生きてはいけません。
毎日をワクワク、ハッピーに過ごしている人は、今で思考し、今を生きている人です。
明日は今日の延長であり、未来は今の延長です。
今をハッピーに生きていない人に、ハッピーな明日も未来も来ないのです。
未来に夢を託すことに逃げないで、「今・ここ・私」を最大限に楽しんで生きていきましょう。
今の気持ちが、未来を創っていくのです。
今を犠牲にして、未来に生きてはいけません。
毎日をワクワク、ハッピーに過ごしている人は、今で思考し、今を生きている人です。
明日は今日の延長であり、未来は今の延長です。
今をハッピーに生きていない人に、ハッピーな明日も未来も来ないのです。
未来に夢を託すことに逃げないで、「今・ここ・私」を最大限に楽しんで生きていきましょう。
今の気持ちが、未来を創っていくのです。
2014年09月16日
信じ切ること
神さまがうまくやってくれるから安心だ、と任せ切るのが信仰です。
これからもこれまで通りなんとかなる、うまくいくと信じ切る。神さまに全託する。
自分自身を100パーセント信頼する。
神様(宇宙)を100パーセント信頼する。
信じ切れば、全託できれば不安はなくなります。
これからもこれまで通りなんとかなる、うまくいくと信じ切る。神さまに全託する。
自分自身を100パーセント信頼する。
神様(宇宙)を100パーセント信頼する。
信じ切れば、全託できれば不安はなくなります。
2014年09月15日
どの年齢の時も今が素晴らしいと思えばいい
六十になっても、八十になっても、その歳の人らしい人間のおもしろさが出ていれば、その人はただ古びていっているだけ、とはならずなかなか味のある人間であり続けられます。
人は中年になり老年になっていくものですが、どの年代でもいつも今ある年齢が素晴らしいと思っていられれば生涯をとおして穏かに幸せでいられるものです。
要するに、今を受け入れて満足するということです。
人は中年になり老年になっていくものですが、どの年代でもいつも今ある年齢が素晴らしいと思っていられれば生涯をとおして穏かに幸せでいられるものです。
要するに、今を受け入れて満足するということです。
2014年09月14日
あげるときには、「ただ」であげることが大切です
「自分が相手に与えたことは忘れずにいて、相手が自分に与えてくれたことは忘れる」というところから、人生の不幸が始まります。
「私は、これだけしてやったのに、相手は何もしてくれない」という思いが不幸の出発点なのです。
この「してやった」という気持ちのなかには、一種の人格的未熟さがあることに気づかなければなりません。あげるときには、「ただ」であげること、見返りを期待しないことが大切です。
特に心の問題はそうです。優しさや気遣いなど、人への愛は与えきりであり、一方通行だと思っていましょう。もし愛やお礼が返ってきたら、「得をした」と思えばいいのです。
世の中には恩知らずの数は尽きません。その恩知らずの中には、ほかならぬ自分自身も入っていることを忘れてはなりません。
「他人に何かをしてあげるときには、与えきりにして、それを忘れる。逆に、してもらったことは長く覚えておき、感謝していく」ということが大切です。
「私は、これだけしてやったのに、相手は何もしてくれない」という思いが不幸の出発点なのです。
この「してやった」という気持ちのなかには、一種の人格的未熟さがあることに気づかなければなりません。あげるときには、「ただ」であげること、見返りを期待しないことが大切です。
特に心の問題はそうです。優しさや気遣いなど、人への愛は与えきりであり、一方通行だと思っていましょう。もし愛やお礼が返ってきたら、「得をした」と思えばいいのです。
世の中には恩知らずの数は尽きません。その恩知らずの中には、ほかならぬ自分自身も入っていることを忘れてはなりません。
「他人に何かをしてあげるときには、与えきりにして、それを忘れる。逆に、してもらったことは長く覚えておき、感謝していく」ということが大切です。