2013年06月09日

困ったことは起こらない

人間には困ったことは起こりません。

困ったように見えますが、困っているのではなくて、「学んでいる」のです。

人間は、ほんとうに困らないと学ばないからです。

困ったり、悩んだりと、人生で苦労しているときは、基本的に人生の勉強をしているのです。
人生はすべてが勉強なのです。

たいていの人は苦労したら良くなると思っていますが、苦労や我慢からは、幸せや成功はうまれません。苦労して、しんどい思いをするというのは、「間違いですよ」という神様からのお知らせです。

うまくいかないのは、神様が「早くその演技をやめなさい」と言っているお知らせです。このことに、早く気づくようにしましょう。

苦労をやめたら、簡単に幸せになれます。人間は苦労するために生まれてきたのではありません。考え方を変えるとラクになります。

2013年06月08日

安易なイエスはノーより悪い

安請け合いをして、もし約束を果たせなくなったら、相手に迷惑をかけるし、自分も信用を失うことになります。だから、できるかどうかわからないことは安請け合いしないほうがいいのです。

請け合ったことを実行できればいいのですが、できない場合は大きな悩みを抱えることになります。

安易な約束は、かえって相手に迷惑をかけてしまう場合もあることを肝に銘じておくことが大切です。

2013年06月07日

辛いと思えばますますつらい・・・人生の良し悪しを簡単に決めつけないこと

この世の中は「何か間違っている」と思えば、すべてが間違っているように思えてきます。
「これが真実だ」と思えば、すべてが真実に思えてくるものです。

間違っていることの中にも真実があります。真実の中にも間違いが含まれています。ですから、「これは間違いだ」 「これは真実だ」と一概に決め付けないようにしましょう。

たとえば、素晴らしいものであっても、全面的に信頼するのではなく、「これはいいが、これはダメ」といった具合に、注意すべきことは注意しておくべきです。

人生も同じです。「ああ、つまらないなぁ」と決めつければ、すべてがつまらなくなるのです。ですから、人生の良し悪しを簡単に決めつけてしまわないことです。

2013年06月06日

無心となって生きてゆく

ところで、禅宗では、「ただ無心となって座禅することに集中しなさい」と教えます。「座禅をすることは悟りを得る上でどういう意味があるのかとか、何のために座禅するのか、などと考えてはいけない。意味や目的を考えることは雑念となって、かえって悟りを妨げるからだ」と言います。

この考え方は、生きるということすべてに共通するのではないでしょうか。

「なぜ生きるのか?何のために生きるのか?」と考えることは、雑念となって、幸福感や充実感を見失う原因になるかもしれません。

ただ、毎日やるべきことを淡々と無心となってやって生きていくほうが、幸福感を得られるでしょう。

2013年06月05日

用心しても恐れてはならない

年を取ったらむやみに年齢のことは言わないほうがよいでしょう。年齢を告げると、相手はあなたの中にその年齢を思い浮かべ、健康や活力の衰えを想像するからです。

老齢を意識することは心配を生み、それによって活力を失うことにもなります。ですから、年を取ったら年齢のことはできるだけ口にしないようにして、ときどきこうささやきましょう。

「私は日ごとに若々しく、健康に恵まれていることに感謝します」と。
気の持ち方や考え方には、大きな力があります。

用心することと、心配することとは別です。用心することは大切ですが、心配してはなりません。

ときどき体内を浄化するためにダイエットをして、体内に蓄積された不純物を取り除き、病気の予防をしましょう。こうして適切な予防措置を講じたら、あとはいっさい心配しないことです。