「金銭欲や物質欲は、生まれつき具わっている以上、仕方ないさ」、
「そういう欲があるからこそ、やる気も出てくる」という見方もあるでしょう。
しかし、欲望の本質をなす「際限のなさ」は、終局には人を悩まし苦しめるものです。光武帝も「人は足るを知らざるに苦しむ」と喝破しております。
苦しむという点に注目し、このことに深く思いを致すことが肝要でしょう。
壮年期、働き盛りの時期であれば、百歩譲って「致し方ない」と認めるとしても、現役引退の年代になれば、断乎、「足るを知る」べきでしょう。
これは、苦を避け幸いを招く必須の条件だからです。一生のうちの後半生は足るを知る生活をしましょう。
老子の「足るを知る者は富む」という言葉は有名で、よく引用されます。まことに至言で、満足することを知っている者は、たとえ金銭面・物質面で貧しくても、精神面に豊かで富んでいます。
2014年09月06日
2014年09月05日
陰徳を積めば陽報あり
定年後にやることがないと嘆き、暇をもてあます人が多くいます。その一因は自分の今までの生き方にもあったのです。
自分の成功のみを追い、自分だけが目立とうとする生き方、陰徳を忘れた生活の仕方が、晩年になって結果として出てきているのです。
このように考えると、目立たないで人に尽くすということは、現代的な意味も持っていることになります。目立とう目立とうという生活は徳を損ない、業の借金を増やしてしまいます。
その結果、自分の意図するところとは別の人生を送らなくてはならなくなるのです。
目立つことのみを図って生きてきた人が、仲間もなく、家族にも恵まれず、孤独に人生を送ることが多いのはこのためです。
隠れて何か良いことをするというのは、決して無意味な行為ではなく、最後には自分と子孫のためになる行為だということを理解すべきでしょう。まさに、「陰徳積めば陽報あり」なのです。
自分の成功のみを追い、自分だけが目立とうとする生き方、陰徳を忘れた生活の仕方が、晩年になって結果として出てきているのです。
このように考えると、目立たないで人に尽くすということは、現代的な意味も持っていることになります。目立とう目立とうという生活は徳を損ない、業の借金を増やしてしまいます。
その結果、自分の意図するところとは別の人生を送らなくてはならなくなるのです。
目立つことのみを図って生きてきた人が、仲間もなく、家族にも恵まれず、孤独に人生を送ることが多いのはこのためです。
隠れて何か良いことをするというのは、決して無意味な行為ではなく、最後には自分と子孫のためになる行為だということを理解すべきでしょう。まさに、「陰徳積めば陽報あり」なのです。
2014年09月04日
節食開運説(水野南北)の要点
◯ 人間の一生の吉凶は皆只その人の飲食による。
恐るべきは飲食である。 つつしむべきは飲食である。
◯ 飲食が分限より少ない人は、人相が悪くとも吉であり、相応の福分を得て
長生きし晩年幸福である。
◯ 飲食が分限より多い人は、たとえ人相がよくても何事も順調に行かず、
手おくればかりで生涯気苦労がたえず、晩年不仕合である。
◯ 少食を厳格に守っている人は、たとえ貧乏して悪い人相であっても
相応のしあわせがあり、長生きして何事も大抵不自由することなく
晩年しあわせであり、ひ弱そうに見えても病気をすることがない。
◯ 大食であって、その上量も時間も決まっていない人は問題外で、
一生涯運はよくならず、ついに家庭をこわし、病気になる。
◯ 飲食に定めがあっても、時々少しでも多かったり少なかったりすると、
収入もまた多かったり少なかったりする。
飲食が一定していて変化がないと、収入もまた一定して変化がなく、
ただ食事を一定して厳重に守るが良い。
◯ 厄年に大難の相があっても、いつもおごった食事をせず
厳重に定めている人は厄をまぬがれる。
◯ 酒や肉を多く食して肥え太った人は、一生涯、出世発展することがなく、
食を慎まないと、晩年不幸せである。
◯ 自分が後々、立身出世しようと思うならば、
まず第一に食を減らして厳重に定めること。
これが出来る人は必ず立身出世をし、
できない人は生涯立身出世の見込みがない。
◯ 繁盛している家の運が尽きてつぶれようとしていても、
もし跡継ぎの主人がその食事を減らして厳重に守ると
収入が自然に伸び、家運は栄える。
◯ たとえ貧乏で苦労の多い人相でも、
自分自身で、貧乏人らしく粗末な物を食べ、
こ れを厳重に守り抜くときは、自然に貧しさから抜けだして
相応の財産ができる。
これを自福自得という。
○ 常に腹七分目を心がけよ。
○ 人それぞれ、仕事や体格が違うのであるから、
食べる分量は自ずと異なる。
したがって、食を節する場合は、その人相応の分量で節する必要がある。
○ 自分が食を節しているからといって、
家族や他の人に無理にそれを押し付けてはいけない。
○ 節制は吉だが、ケチは大凶である。
従って人をもてなす時は、自分の節制に関わりなく、盛大にもてなすこと。
○ 青菜の類は、いくら食べても構わない。
○ 昔の武士は合戦の時は、1日5食であったが、
そういう非常時には大食しても構わない。
○ 一芸に秀でるほどの者は、慎しみを堅く守っていても、
ますます天から苦しみを与えられことがある。
それはその道をますます究めさせるためである。
○ 食欲がなければ無理に食べるな。
○ 早寝早起きを心がけよ。
以上 これらのことを考慮にいれよく食を慎み幸せな人生になるよう努めましょう。
恐るべきは飲食である。 つつしむべきは飲食である。
◯ 飲食が分限より少ない人は、人相が悪くとも吉であり、相応の福分を得て
長生きし晩年幸福である。
◯ 飲食が分限より多い人は、たとえ人相がよくても何事も順調に行かず、
手おくればかりで生涯気苦労がたえず、晩年不仕合である。
◯ 少食を厳格に守っている人は、たとえ貧乏して悪い人相であっても
相応のしあわせがあり、長生きして何事も大抵不自由することなく
晩年しあわせであり、ひ弱そうに見えても病気をすることがない。
◯ 大食であって、その上量も時間も決まっていない人は問題外で、
一生涯運はよくならず、ついに家庭をこわし、病気になる。
◯ 飲食に定めがあっても、時々少しでも多かったり少なかったりすると、
収入もまた多かったり少なかったりする。
飲食が一定していて変化がないと、収入もまた一定して変化がなく、
ただ食事を一定して厳重に守るが良い。
◯ 厄年に大難の相があっても、いつもおごった食事をせず
厳重に定めている人は厄をまぬがれる。
◯ 酒や肉を多く食して肥え太った人は、一生涯、出世発展することがなく、
食を慎まないと、晩年不幸せである。
◯ 自分が後々、立身出世しようと思うならば、
まず第一に食を減らして厳重に定めること。
これが出来る人は必ず立身出世をし、
できない人は生涯立身出世の見込みがない。
◯ 繁盛している家の運が尽きてつぶれようとしていても、
もし跡継ぎの主人がその食事を減らして厳重に守ると
収入が自然に伸び、家運は栄える。
◯ たとえ貧乏で苦労の多い人相でも、
自分自身で、貧乏人らしく粗末な物を食べ、
こ れを厳重に守り抜くときは、自然に貧しさから抜けだして
相応の財産ができる。
これを自福自得という。
○ 常に腹七分目を心がけよ。
○ 人それぞれ、仕事や体格が違うのであるから、
食べる分量は自ずと異なる。
したがって、食を節する場合は、その人相応の分量で節する必要がある。
○ 自分が食を節しているからといって、
家族や他の人に無理にそれを押し付けてはいけない。
○ 節制は吉だが、ケチは大凶である。
従って人をもてなす時は、自分の節制に関わりなく、盛大にもてなすこと。
○ 青菜の類は、いくら食べても構わない。
○ 昔の武士は合戦の時は、1日5食であったが、
そういう非常時には大食しても構わない。
○ 一芸に秀でるほどの者は、慎しみを堅く守っていても、
ますます天から苦しみを与えられことがある。
それはその道をますます究めさせるためである。
○ 食欲がなければ無理に食べるな。
○ 早寝早起きを心がけよ。
以上 これらのことを考慮にいれよく食を慎み幸せな人生になるよう努めましょう。
2014年09月03日
饒舌の弊害
沈黙の弊害よりも、饒舌の弊害のほうが大きいものです。
しゃべるほど味が薄くなり危険が増してきます。
話の効果は時間に反比例します。必要なときに、必要なことを、必要なだけ、そして必要な方法で、というのが原則です。
しゃべる量で相手を圧倒しようとするのは愚かなことです。だいたい、しゃべりすぎるとしまりがなくなります。
もっと危険なのは、だまっていればことを起こさないですむものを、いらないことまで口走るから、「キジも鳴かずば撃たれまい」という結果を招いてしまうのです。
ピリッと効(き)く、小粒の山椒のように、煮詰まったエキスを話したいものです。
しゃべるほど味が薄くなり危険が増してきます。
話の効果は時間に反比例します。必要なときに、必要なことを、必要なだけ、そして必要な方法で、というのが原則です。
しゃべる量で相手を圧倒しようとするのは愚かなことです。だいたい、しゃべりすぎるとしまりがなくなります。
もっと危険なのは、だまっていればことを起こさないですむものを、いらないことまで口走るから、「キジも鳴かずば撃たれまい」という結果を招いてしまうのです。
ピリッと効(き)く、小粒の山椒のように、煮詰まったエキスを話したいものです。
2014年09月02日
宇宙はいつもあなたが欲する(想っている)ものを与えています
あなたが自分のことを「私はこういう人間だ」と思ったら、宇宙は必ずあなたをサポートします。
もしあなたが「人生は苦しく、努力して生きていくもんだ」と信じていたら、宇宙はそういう風に苦しく努力しないといけない人生を与えます。
しかし、反対に、あなたが、「私は非常に楽に自然になんでも手に入れていいんだ」
「自分は喜びを感じていいんだ」と思って生きているのなら、宇宙はそういうものを与えてくれます。
宇宙は常に私たちの欲しいものを与えています。
もしあなたが「人生は苦しく、努力して生きていくもんだ」と信じていたら、宇宙はそういう風に苦しく努力しないといけない人生を与えます。
しかし、反対に、あなたが、「私は非常に楽に自然になんでも手に入れていいんだ」
「自分は喜びを感じていいんだ」と思って生きているのなら、宇宙はそういうものを与えてくれます。
宇宙は常に私たちの欲しいものを与えています。