2013年06月23日

来るものを好悪せず受ける

来るものをして、一応すべて来らしめよ。

「来るもの」が時として、「人」であることもあれば、「事」であることも、「物」であることもあります。それらは必ずあなたに何かを与えるためにやって来つつあるのです。

教訓を持って来てくれることもあれば、経験を持って来てくれることもあり、富を持って来てくれることもあります。時として損失を持って来るかのように見えることもあるかもしれませんが、それを静かに受けて省みるとき、それは魂にとって必ず何らかの収穫を持って来てくれているから、決してそれを嫌ったり呪ったりしてはなりません。

すべてのものは、それを素直に受けて味わうとき、きっと何らかの益となります。

それらが損失と見えるのは、自分がある立場に固執して、ある立場からのみそれを観るからです。人生のあらゆる経験において「絶対損失」となるものは一つもありません。

2013年06月22日

小さな日々の恵みに感謝しましょう

どんな小さな恵み、小さな贈与、または小さな幸福にせよ、それに対して純粋な心で感謝しましょう。

大きな恵福であるから感謝し、日常の小さな恵福であるから感謝しないというのでは、その人の心は現象的分量にとたわれ、取引根性、打算根性に陥ってしまっているのです。

分量を見ないで、その恵みの奥にある神の愛を見なければなりません。そして感謝の念を起こすとき、自分の心が浄(きよ)まるのです。

常に感謝しましょう。常に感謝しましょう。豊かにして幸福なる世界(天国)は既にあるのです。

2013年06月21日

自分が選ぶ言葉と解釈が現実を創造する

たとえば、何かをやって期待通りの結果にならなかったとします。それを「失敗した」と思えば、それは失敗になります。「自分がダメだからだ」と思えば、自己評価は下がります。

でも、「いい経験をした」と思えば、いい経験になります。「自分はベストを尽くした、よくやった」と思えば、自己評価はポジティブなのもになります。

「どういう言葉で、出来事を説明するか」は、自分が「どう解釈するか」であり、それが現実を決めていきます。人はその現実を抱えて生きていくことになります。

実際は、出来事そのものには意味はなく、ただ起きることが起きているだけで、「いい」も「悪い」もなく、中立です。

ちょっと実験をしてみましょう。

まず、いかに自分が不運で、悲劇的で苦しい人生を送ってきたかを言ってみてください。
ーーーこれは誰でも言えますね。

次に、自分がいかに恵まれて、ラッキーな人生だったか言ってみましょう。
ーーーこれも誰でも言えるんです。

このように同じ人生に対して、どちらでも言えます。

では、どっちの人生がいいですか?
実は、その解釈の選択が、未来を決めていきます。それが自己イメージに重なってくるからです。そして、人は自己イメージに応じた現実を引き寄せ、創造していくのです。

2013年06月20日

与えれば与えられる

「与えれば与えるほど与えられる」という法則は、あなたが信じようと信じまいと、知ろうと知るまいとそんなことに関係なく、あなたの生活にいつもその法則は行われて(働いて)います。

引力の法則があることを知ろうが知るまいがリンゴが上から下に落ちるのと同じように、どこにでも行われているのです。

もしあなたが欲しい物を得ることが出来なかったならば、それは誰の罪でもありません。あなたが他の人の欲しいものを与えたことがなかったか、与えることが少なかったに過ぎません。

もし私たちが他から与えられる事が少なければ自身が他に与えたことが少ないことを恥なさい。

私たちは他から与えられることを考えるよりも、他にどうしたら与え得るか。どうしたらサービスが完全に出来るか、そのことばかり一生懸命考えるようにしたらよいのです。

2013年06月19日

瞳を磨く

人は年齢を重ねると、身体の衰えは容易には止めることはできません。しかし、心の衰えは止めることができます。

どんなに歳を取っても心というものは磨くことができて、それは瞳に現われます。

何年も会ってなかった人に何年かぶりに会って、変わってないと感じるということは、心の歳は取ってないということなのでしょうか。

心が歳を取るってどういうことなのでしょうか?

それは、きっといろいろなことが変わっているでしょうが、瞳の輝きや色は変わらないというか、本来の自分の瞳の輝きや色を、更にきれいに磨いていくことが、心の歳を取るっていうことではないでしょうか。

瞳の輝きや色を失っていくことは、残念なことに心の歳を取っていないということかもしれません。それは人として成長していないということ。

年齢を重ねる、または心の歳を取るということは、一歳、また一歳と、美しくなるということ。人は美しくなるために生きています。人は瞳を磨くために生きています。