2012年11月03日

害がないかぎり、人の行動を変えようとしないこと

ほとんどの人が、相手に行動を改めるよう要求する「病気」にむしばまれています。

相手の行動が自分に害をおよぼさないかぎり、相手にその行動を改めるよう要求する権利はありません。

あなたが相手の行動をいやがっている以上に、相手はあなたの行動をいやがっているかもしれません。もし相手があなたに行動を改めるよう要求してこなかったとしたら、それは相手があなたより忍耐力があったからかもしれません。

おたがいに相手の特定の行動が気に入らなくても、いつでも妥協することができます。

2012年11月02日

人が自分と同じルールで生きているとは思わないこと

他の人たちが私たちと同じルールを学んだとは限りません。私たちにとって正しいと思えることでも、彼らにとっては間違っていると思えるかもしれないし、その逆もありえます。

「誰もが同じルールに従って生きている」と想定すると、重大な問題に直面する恐れがあります。

あなたにとっては受け入れられない行動でも、相手にとっては普通のことかもしれません。自分なら絶対にしないからといって、「他の人たちも同じように感じるはずだ」と思ってはいけません。

他の人たちはあなたの期待どおりに行動するとはかぎりません。心を開いて予想外のことに備えることです。あなたの行動規範は他の人たちには何の意味もありません。彼らは自分なりの行動規範に従って行動するだけなのです。

2012年11月01日

小さなことにも喜びを感じる

小さなことに喜びを感じられる人にはどういう特典があるでしょうか。

それは、苦しみに耐える力ができてくる、ということです。小さなことに喜びを感じない人は、すぐに苦しみがストレートに体に響いてきます。そういうふうにできているのです。

小さな一輪の花、人のちょっとした行為に喜びが感じられて感謝の心を持つ人ほど、大きな災難、苦難に対して耐える力があります。

そういう意味で、私たちも小さなことに喜べる人間になって、そして人をも喜ばせていくというふうになっていければと思います。

2012年10月31日

不断の努力・・・・(実践)

本を読んだりして、人生で大切なことを理解したとしても、また深遠で聖なる体験をしたとしても、それが人格が高貴になることに直ちに反映するわけではありません。

それを行動に反映させていくには、地道な努力しかありません。奇跡が起きて、急に自分が変わるなんて思わないほうがいいです。

大切なのは、不断の努力、不断の気づき、実践です。

2012年10月30日

与える側に立つ

「受けるより与えるほうが幸いである」と聖書の言葉にあります。

与える側に立つと、ほんの少しでも楽しくなるし、相手が喜べば、さらに満たされます。与える方が、満足感がずっとあります。

大人になれば、与える側にまわらなければいけません。子供は、おっぱいをもらって、おむつを替えてもらって、ランドセルを買ってもらって、と全部してもらう。受けているだけでは、子供と同じです。したいことだけをするというのも幼児性でしょう。

どんな老人であろうと、体力に応じて働くべきだと思います。仕事でなくても、それこそ料理をしたり掃除をしたりして、誰かのお役に立つ。

与える側にいれば、死ぬまで壮年です。体が動かなくなっても、お茶を入れていただいた時に「ありがとう。おいしかったよ」と言えたら、喜びを与えられます。老い方や死に様を見せてあげるなど、いくらでもしてあげることはあります。