2013年03月29日

運というものは運ばれてくるものです。それは人からであったり、神様からであったり。

お金でもモノでも、そのもの自体が歩いて来るということはありません。だから、お金も人が運んでくるものなので、人に好かれない限りどうしようもありません。

まず運のいい人は愛想がいい。愛想が悪くて人から嫌われているような人で運のいい人はいません。

人に嫌われているという時点で、もうすでに運が悪いのです。それで、そんなことにも気づかないで運勢を悪くしています。

運がいい人は素直です。またいつも笑顔でいられます。ブスッとしているより笑顔がいいに決まってるのに、そんなわかりきったこともやらないんだとしたら、その人はひねくれています。

だから、そういう人は運が悪いんじゃなくて、運を悪くしてるんです。

「心配だ、ツイてない、不平不満、グチ、泣き言、悪口、文句、許せない」といった悪い言葉を使うのをキッパリやめて、

「愛してる、ツイてる、うれしい、楽しい、感謝してます、しあわせ、ありがとう、ゆるします」といった良い言葉だけ使いましょう。

そうしていると誰でも必然的に運が良くなって幸福になれます。

2013年03月28日

白光の誓い

自分を愛して、

他人を愛します。

やさしさと笑顔を絶やさず、

人の悪口は決して言いません。

長所をほめるように努めます。


以上、これは銀座まるかんの創設者斉藤一人さんの一番弟子の柴村恵美子さんが斉藤一人さんから最初に教わったことだそうです。(ちなみに、斉藤一人さんが全国納税者番付で1位になったとき、柴村恵美子さんは全国86位でした。)

人の短所は責めず、自分の長所を自慢しない。人の良いところをいっぱいほめてあげられればいいですね。

2013年03月27日

「幸」も「不幸」も絶対的なものではない

今日、自分が「ああ、私は幸せだ」と思ったとします。そうすると、昨日までに体験したイヤなこと・・・ケンカや争い、病気や事故なども、すべてが「今日の幸せ」に至るための原因であったことがわかります。逆に、今日「私ほど不幸な人はいない」と思ったとしましょう。そうすると昨日までのすべての出来事が「不幸」の原因になってしまいます。

しかし、今日「私は不幸だ」と思った人でも、翌日に嬉しいことがあったりすると、突然に「私ほど幸せな人はいない」と思い、昨日までの出来事は昨日の段階ですべて「不幸」であったのに、今日「幸せ」になったがゆえにすべて「幸せ」になってしまいます。

このことは、オセロゲームにとてもよく似ています。「幸」と「不幸」は、オセロゲームのように白と黒がひっくり返るのです。つまり、「幸」も「不幸」も絶対的なものではないということになります。

「私」の気分ひとつで変わるのです。

2013年03月26日

不遇を口に出してはいけない!

たとえ貧乏を強いられた生活を余儀なくされたとしても、そのことをむやみやたらと口にしてはいけません。同じように、「一生懸命に働いているのに報われない」とか「自分にはできそうにない」とか「条件が悪すぎる」といった否定的な言葉も口にしないようにしましょう。

むしろ、「一生懸命、働いているんだから、いつか必ず報われる時が来る。必ず豊かになる」と確信することが大切です。

金運がある人やお金持ちは、いつも「お金は天下のまわりもの、必要に応じて入ってくる、食いっぱぐれる心配はない」「一生懸命働いているから、儲かって当然」「豊かになる権利がある」と思っています。

「豊かさを思えば豊かになり、貧乏を思えば貧乏になります。思うことは非物質的ですが、この想念の世界こそすべてを創り出す源であることを忘れてはなりません」とマーフィー氏も言っています。

2013年03月25日

淡々と受け入れて生きる

心の不健康は、「他者を責める」か「自己を責める」か、そのどちらかによって生まれます。他者を責めれば、攻撃的になり、時には殺人を犯したり、人を傷つけたりします。自分を責めれば、ウツ状態になります。

そのどちらも、自分に降りかかる現象を否定しているところから始まります。そして、「なぜ?」「誰のせい?」と問いかけるようになります。

聖書の中に「汝、なぜか、なぜかと問いかけるなかれ」という言葉があります。よく相談や質問される方は。「なぜ、なぜ」とおっしゃいますが、問いかけた瞬間、問いや相談の形をとって、その現象を否定しています。

自分の身に降りかかってくることについて問いかける必要はありません。それはそれでよしと、そのまま受け入れて生きていくと楽なのです。

たとえば、不登校の子供がいたとき、「これは誰のせいか」と追求しはじめてしまうとキリがありません。夫が怒鳴っているから、夫婦関係が悪いから、甘やかして育てたから・・・。原因を求めても問題は解決しません。

何も責めず、現象を否定せず、そのまま受け入れてただ淡々と生きていけばそれでいいのです。