2013年03月17日

病気のおかげ

病気をすることは、考えようによってはありがたいものです。

病気をすると自分ほど不幸な者はいないと思いがちですが、考えてみれば病気をしたおかげで、今まで分からなかった感謝の気持ちや健康というものへの本当のあり方というものも分からせてもらえます。

その意味では、若いときに大きな病気を与えられた方が、かえっていいのではないかと考えることもできます。

高齢になってから大病を患うと回復力もよくありませんし、また周りで世話をする人も高齢になっている可能性が高いものです。

いずれにしても、できるだけ病気にならないで老衰で死ねることが一番です。
食べる物(過食)が病気をつくりだす一番の原因ですから、日頃から暴飲暴食を控え臓器に負担をかけないような食事を摂るように気をつけましょう。

2013年03月16日

常によい意味を与えましょう

私たちが意味を与えるまで「状況」にはまったく意味がありません。

こんな状況に見えるけど、「自分自身には、何か必ずいい意味があるに違いない」
と考えましょう。

私たちがそういう(良い)意味を与えることによって常にうまくいきます。

どんな状況も、すでにその中に本質的に決まっている意味はありません。
私たちが与える意味によって、そこから得られる結果が変わってきます。

だから、自分の現在の幸せな人生にとって、いかにも矛盾して見えるもの(状況)
でも肯定的な意味を与えることによって、それが障害に見えなくなります。

それを「障害」と見ようとしないで「それは自分の幸せな部分の延長なのだ。
ただ今の自分の目には、どのように肯定的なのかが、まだ見えていないだけなのだ」
と思って下さい。

2013年03月15日

生きる知恵

現代人の不幸は、有り余る幸せを与えられているにもかかわらず、満足をしていないことです。

逆に、取るに足らない小さな苦労を自分自身で勝手に大きくしていることです。

幸せに生きるためには、大きな不幸や災難を小さく受け止め、小さな喜びを大きく膨らますことです。

かつての日本人は、無意識のうちにそういう知恵を身につけていました。

2013年03月14日

淡々と受け入れて生きる

心の不健康は、「他者を責める」か「自己を責める」か、そのどちらかによって生まれます。他者を責めれば、攻撃的になり、時には殺人を犯したり、人を傷つけたりします。自分を責めれば、ウツ状態になります。

そのどちらも、自分に降りかかる現象を否定しているところから始まります。そして、「なぜ?」「誰のせい?」と問いかけるようになります。

聖書の中に「汝、なぜか、なぜかと問いかけるなかれ」という言葉があります。よく相談や質問される方は。「なぜ、なぜ」とおっしゃいますが、問いかけた瞬間、問いや相談の形をとって、その現象を否定しています。

自分の身に降りかかってくることについて問いかける必要はありません。それはそれでよしと、そのまま受け入れて生きていくと楽なのです。

たとえば、不登校の子供がいたとき、「これは誰のせいか」と追求しはじめてしまうとキリがありません。夫が怒鳴っているから、夫婦関係が悪いから、甘やかして育てたから・・・。原因を求めても問題は解決しません。

何も責めず、現象を否定せず、そのまま受け入れてただ淡々と生きていけばそれでいいのです。

2013年03月13日

すべては心の持ち方

汚いとか美しいとか、それは、ただその人が「そう思う」だけなのです。「そう思う」から、そうなるのです。

はじめて会った時、嫌だなあと思っていても、だんだん好きになることも少なくありません。

不足不満は、もともとあるのではありません。「そう思う」から、そうなるのです。ただそうした状態があり、そうした物がある。

それに対して、ある者は不足を思い、ある者は何とも思いません。寒さそのもの、暑さそのものに、良し悪しがあるのではありません。

「そう思う」から、そうなるのです。