2016年07月14日

苦痛はなぜ現れるか

人は苦痛を敵と見なします。けれども、決して苦痛は敵ではありません。苦痛は自己の生命が当たり前の道を歩まないで正道を踏みはずして間違った道を歩んでいることを知らせてくれる信号です。

それは私たちの忠実な信号手であり、自分が人たるの道を再び歩むように警告してくれる天の使いです。私たちが正道(神)を忘れて、自分の勝手次第のことをやっているときに再び自己を反省させて正道(神)の方へ心を振り向けさせてくれるのが苦痛なのです。

無常のものを常住のものと思い、朽ち果つべきものを永遠のものと思い、ただの幻に過ぎないものを実在だと思って、それらに執着していた心を一変させ、無常を無常とし、幻を幻とし、朽ち果つべきものを朽ち果つべきものと悟らせて、本当に常住なもの、金剛不壊(こんごうふえ)なものに心を振り向けさせてくれるのが苦痛なのです。

2016年07月13日

人をどうこう言えるほど立派か?

自分というものは、人のことを、どうこう言えるほど立派ではありません。

「あの人はまちがっている」と指摘しても、自分がその立場になったら、同じことをする可能性があるのです。

「あの人は嘘をつく、けしからん」と言っても、自分だって不利になったりその場を逃れようとすると、思わず嘘をついてしまうんじゃないでしょうか。

「あの人は頼りにならない」と言っても、自分が同じ立場になったら、人から信頼される振る舞いができるでしょうか。

他を批判したり悪口や文句を言っていると、必ずその報いは自分に返ってきます。

2016年07月12日

自分の置かれた環境(状況)に意義を見い出す

起こってくる一つひとつの出来事には、良い面も悪い面もあって、たとえ今は美しいとは思えなくても、そこに何か意味のあることを信じて生きることが大事です。

聖書の中に「運命は苛酷だが、摂理は温かい」という言葉があります。

現実がどれほど苦しくても、神は大きな摂理の中で一人ひとりを大事にされていること、自分の考えが絶対ではないということを信じ続けていく。そういうものが信仰ということです。

苦悩してこそ人は自らの内面を探究することになるし、優しくて人に安心感を与える人になれます。大切なのは、自分の置かれた環境にどれだけ大きな意義を見い出すかということなのかもしれません。

2016年07月11日

自分の都合を捨ててみる

私たちは、おおむね自分の都合で生きています。人のためになりきるということはなかなかできません。ですから、人のために何かをするということは、いかにして自分の都合を捨てるかということになってくるのでしょう。

私たちが時としてものごとに行きづまるのは、自分の都合だけで動いているからではないでしょうか。そんなとき、自分の都合を少しでも引っ込めていくと、ものごとは動き出していきます。

自分の都合で生きていれば、それはどうしても人に伝わります。したがって、自分の都合だけで動いている間は、人はまごごろを通わせてくれることはありません。

道は多くの人との縁によって開けていきます。だから、自分の都合を捨てることさえできれば、道は必ず開けていくものなのです。

2016年07月10日

好ましい現実にワープ(移行)せよ

あなたにとっての好ましい現実を開きたいなら、一つの思考につかまり続けないで、あなたにとっての「好ましい波動や周波数」を味わえるような思考を選んでいくと、その思考がダイレクトに望ましい現実を創ります。
つまり、望ましい現実が成就したときの「周波数・バイブレーション(真の気持ち)」を明確に感じて、意識し続けていくことです。

あなたにとって好ましい現実、それはすでに今ここに同時に並行して存在しているのです。

あなたがその好ましい現実にいるのなら、どんな気持ちのバイブレーションになっているのかを明確に意識してください。

あなたがそのように肉体の意識を変え、肉体レベルでのバイブレーションを変えていくとき、実際にもうその並行現実を体験することになります。

そのとき、まるで、世間や周囲の現実のほうが変わったかのように見えるでしょう。
実は、あなたの周波数が変わったから、その並行現実にワープ(移行)したのです。

あなたにとって本当に好ましい現実を体験すると決め、そのバイブレーションを意識し、なじんでいってください。