2012年12月31日

自分の置かれた環境に不平をこぼす人は、まだ一人前とはいえません

周囲の状況や環境、それらはそれ自体良くも悪くもありません。良し悪しを決めるのは、心の姿勢や態度です。

資金不足、時間不足、力不足、家族の絆による束縛など、さまざまな事情に妨げられなければ、偉大なことができる、と人は想像します。

しかし、実際には、それらによってはまったく邪魔されていません。心の中で、それらが持っていない力をそれらに与え、それらにではなく、それらについての自分の見解に、すなわち自分の性格の弱い部分に屈服するのです。

そういう人に欠けているのは、正しい心の持ち方です。

環境を自分の資質を刺激するものとみなし、自分に対する「障害」が成功へとのぼりつめていくためのステップと考えられるようになれば、欠乏感が新たな発想を生み、「妨害物」が自分を助けてくれるものに変貌します。

心が健全で、適切に調整されていれば、環境に愚痴や不平をこぼしたりしません。
それらを乗り越えて成長するのです。

自分の置かれた環境に不平をこぼす人は、まだ一人前とはいえません。

2012年12月30日

「観念」や「思い込み」に気づく

私たちは物事をあるがままに見ているのではありません。

「観念」や「思い込み」という眼鏡を通して見ています。

このことを常に認識していれば、私たちは傲慢になることはありません。

ところが、自分はありのままに見ているつもりでいるので、あの人はいい人だ、悪い人だとか、これは正しい、これは間違っているとか、そうやって判断して裁いてしまうのです。

自分がそういう「眼鏡」をかけていることに気づけば、その眼鏡の形によってその判断が出来ていることに気づけば、そこに傲慢さは少なくなるはずです。

私たちは朝から晩まで、ひっきりなしで人を評価したり、判断したり、批判したり、いいとか悪いとか言ったりしています。もちろん心の中で、ずっとやってるんです、無意識に。

それが実は、観念から作り出されているんだってことがわかれば、少しは謙虚になります。
もう少し柔軟性を持って、出来事を見る態度が出来てくると思います。

観念に固まってしまうと、白か黒かみたいになってよくありません。


何が言いたいのかと言えば、要するに「苦しみ」というのは、その人の観念の強さ、思い込みの強さだってことです。

「こうだっ!」って決めてしまうわけですから、何が起きているかではなく、何が起きていようと、それを見る自分の態度によって、私たちの感情は決まってくるわけです。

現実をどのように見るかによって、その人の結果が決まるのです。

2012年12月29日

評価の結果は一人ひとりの価値観が作り出している

私たちがいかに自分の見たいように見て、聞きたいように聞いているか。

これは想像以上です。

私たちは先入観の塊りみたいなものです。思い込みの束、観念の束みたいなものです。
一人の人間に対しても、百人いたら、百通りの評価があると思います。

ある人物について、個々の眼鏡、その眼鏡に合えば「素敵」ですが、合わなければ「ひどい」わけです。

対象への評価というのは、現実そのものが作っているのではなくて、その事象(人物)を見た私たち一人ひとりの価値観が作りだしているのです。

要するに、人それぞれ何にせよ見方(捉え方)が違うということです。

2012年12月28日

問題を作り出しているのは自分の心です

何か問題が起きたとき、いちいち苦労して問題を解決しようとしなくても、自分の視点を変えることで、問題そのものが消えてしまいます。

問題というものは、起きている出来事そのものではありません。
その出来事に対する解釈に不快感がともなう時に、その出来事が問題として見えてくるのです。

もしそこに不快感がなければ、その出来事は問題として認識されません。

たとえば、子供が勉強しないのが問題だという時、その親は子供が勉強しないことに、心配やいら立ちや不快感を持っているわけです。でも同じように勉強しない子の親でも、そのことに心配やいら立ちを感じなければ、勉強しないことは問題には見えません。

起きている現実は中立で、良いも悪いもないのですが、それを受け取る側の見方によって、問題にもなり、単なる事実にもなるのです。

もしあなたが問題を抱えているとしたら、それは自分の心が問題として映し出しているということです。その出来事に対して、不快感を持っているから問題に見えているのです。

それでは「不快感」というのは何なのかというと、それは、その出来事に対するあなたの立場です。あなたがその出来事に対して、被害者の立場を取っている時です。自分が被害者だと思うと、そこに不快感が生まれます。

問題を作り出しているのは自分の心です。

起きている出来事は中立であり、いいも悪いもありません。ただ起きることが、起きています。いままでもそうだったし、これからもそうです。それにもかかわらず、私たちは立場や見方によって、独自に判断し、解釈し、こういう問題が起きていますという物語を作っているわけです。そしてそれをつなげて、人生と呼んでいるのです。

2012年12月27日

すべて「いま、ここ」にある・・・一件落着!

「幸せになるために〜〜しよう」とか、
「悪いことが起きないように、〜〜をすべきだ」とか。

それはすべて、未来志向(結果志向)。

未来なんて、どこにもありません。
いつも、「いま」があるだけ。

未来志向になると、「失敗しないように」と深刻になってしまいます。
みんな、あまりにも生真面目で深刻なのは、未来志向だからなんです。

実際の話、「いまここ」には何ひとつ問題はなく、すでに私たちはすべてを得ていて、これ以上、何もいらないんですよ。

はい、一件落着。