2012年12月16日

自分の人生の流れを信頼する

たとえ、今はわからなくても、人生には何ひとつ無駄はなく、そのすべてが統合されて花開く時が来ます。

自分が何をやるのが好きで、自然にやっていることは何か、得意なことは何か、世間の価値観に惑わされずに考えてみましょう。

人生において最も大切な態度。それは、「自分の人生の流れを信頼する」ことです。

2012年12月15日

密度の高い生き方

人は生まれて刻一刻と死に近づくのが人生であり、時の流れであって、これを止めることはできません。

賢く悟った者が長生きするともかぎらず、悪事を重ねた者が短命とも限りません。

しかし、賢い者は、その一時を密度の高い生き方をし、愚かな者は、無為に時を過ごして貴重な人生の時間を失うことになるのです。

与えられた命の時間を無駄にすることなく、目的を持ち、精一杯の努力をし働いて生きること、これが自然の真理に従った生き方です。

自然の、真理から学び、自助努力による自立心で密度の高い生き方をすることが、理想的な人生です。

2012年12月14日

無心の幸福感・・・・・(ただ幸せを感じていましょう)

ほとんどの人は直線的にものを考えます。
毎日まじめに働いていれば、きっとそのうちいいことがあるだろうと願っています。それが「直線的思考」と呼ばれるものです。

そこには絶え間のない連続性があり、「自分」という存在が時の流れのなかで、過去から未来に向かって生きている、という感覚を持っています。極めて多くの人がこのような感覚にとらわれた生き方をしています。

ところが実際には、その一貫した時の流れを描いているのは自分であって、時は流れることなく、いつも「いま」でしかありません。

目の前の景色は常に変わり続けますが、私たちはいつもそれを「いまここ」で見ているだけで、私たちは少しも動いていないのです。

直線的思考はいつかどこかで幸せになろうと言いますが、「いつか」も「どこか」も空想上の産物で、実際には存在していません。存在しているのは「いまここ」だけです。

「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く」という標語がありました、「短い人生、そんなに急いでどこへ行く」ということです。

実は私たちはどこにも行っていません。これからもどこにも行きません。
だって、「いまここ」しかないのですから。未来や過去といった時間の概念は幻想で、本当は「いまここ」しか存在しないことに気づけば、自分は回り道をしたとか、人生を失敗したとか、遅れをとったとか、先に進んでいるとか、そんなバカなこと、勘違いなことは言わなくなります。

理解すべき最も重要なポイントは「人生はどこへも向かっていない」ということです。
まさに「いま」 幸せであるかどうか・・・それが唯一のチェックポイントです。
「いま」幸せを感じないで、いつ感じるというのでしょうか。

まさに今、この瞬間には何ひとつ問題も悩みも存在していないことに気づいて、幸せな気持ちで過ごしましょう。まさに今、優しく素直な気持ちを取り戻し、自分も周りも幸せであることを願いましょう。

秘訣は、「考えないこと」、考えないで、ただ幸せを感じようとすることです。
それが無心の境地で、幸福感はそこに副産物のようにして湧き上がってきます。その幸福感は、何かの原因の結果ではなく、私たちに最初から無条件に与えられているものです。

2012年12月13日

人生の目的地

人生に目的地を持つと、「こう生きるべきだ」という生きる姿勢が生まれます。
まじめに、善良に、責任感を持って、崇高に、気高く、懸命に生きれば、きっとあとで褒めてもらえるし、天国に行ける。それが人間として目指すべき道だ。
そうじゃない生き方は、罪深く、この先悪いことが起きて不幸になるし、地獄に落ちる。

なんてことを、本気で信じてしまうのが目的地志向の生き方です。

これは長年、ほとんどの宗教が私たち人類を搾取してきた基本的なトリックです。

それはいつも未来に依存させています。未来志向になれば「いま」を忘れます。
そして目的地に着くように、失敗しないようにと、深刻さが生まれ、緊張が生まれ、恐れが生まれてしまいます。

自分はうまくいってはいないのではないか、自分の人生は間違っているのではないか、他の人に比べ劣っているのではないかと、比較が生まれ、嫉妬が生まれ、競争が始まります。

そもそも、人生にはそんな目的地などどこにもありません。

人生は目的を達するための手段ではなく、生きるということ自体が目的なのです。
だから、取り逃がしようがありませんし、失敗もあり得ません。失敗の人生も、成功の人生もないのです。

いまの自分の人生がどのように見えたとしても、それでいいのです。パーフェクトです。
いままでもずっと完璧だったし、これからもずっと完璧です。

私たちは、「いまここ」で完璧な存在なのに、そのことに気づかず何を達成しようとしていたのでしょう。誰になろうとしていたのでしょう。

人生に克服すべき課題なんて何もないのに・・・。

2012年12月12日

他人の目

自分の価値が低いからバカにされたのではありません。相手にそのような反応をする能力しかなかったからバカにされたのです。

もしその相手が愛情豊かな人であれば、同じ自分に対して、もっと温かい反応をしてくれたことでしょう。

そのときどきに見せる相手の自分に対する態度や評価は、必ずしも自分を反映したものではなく、その相手自身のそのときの「人となり」を表しているだけです。

ところが私たちはそれを、自分自身を示す情報だと思ってしまいます。人はそれぞれが持つ価値観や判断基準、そしてその瞬間の気分によって、見たいように見ています。
それがわかると、少し楽に生きられます。人がどう思おうと、自分は自分です。