ほとんどの人は直線的にものを考えます。
毎日まじめに働いていれば、きっとそのうちいいことがあるだろうと願っています。それが「直線的思考」と呼ばれるものです。
そこには絶え間のない連続性があり、「自分」という存在が時の流れのなかで、過去から未来に向かって生きている、という感覚を持っています。極めて多くの人がこのような感覚にとらわれた生き方をしています。
ところが実際には、その一貫した時の流れを描いているのは自分であって、時は流れることなく、いつも「いま」でしかありません。
目の前の景色は常に変わり続けますが、私たちはいつもそれを「いまここ」で見ているだけで、私たちは少しも動いていないのです。
直線的思考はいつかどこかで幸せになろうと言いますが、「いつか」も「どこか」も空想上の産物で、実際には存在していません。存在しているのは「いまここ」だけです。
「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く」という標語がありました、「短い人生、そんなに急いでどこへ行く」ということです。
実は私たちはどこにも行っていません。これからもどこにも行きません。
だって、「いまここ」しかないのですから。未来や過去といった時間の概念は幻想で、本当は「いまここ」しか存在しないことに気づけば、自分は回り道をしたとか、人生を失敗したとか、遅れをとったとか、先に進んでいるとか、そんなバカなこと、勘違いなことは言わなくなります。
理解すべき最も重要なポイントは「人生はどこへも向かっていない」ということです。
まさに「いま」 幸せであるかどうか・・・それが唯一のチェックポイントです。
「いま」幸せを感じないで、いつ感じるというのでしょうか。
まさに今、この瞬間には何ひとつ問題も悩みも存在していないことに気づいて、幸せな気持ちで過ごしましょう。
まさに今、優しく素直な気持ちを取り戻し、自分も周りも幸せであることを願いましょう。
秘訣は、「考えないこと」、考えないで、ただ幸せを感じようとすることです。
それが無心の境地で、幸福感はそこに副産物のようにして湧き上がってきます。その幸福感は、何かの原因の結果ではなく、私たちに最初から無条件に与えられているものです。
日記カテゴリの記事一覧
2016年09月10日
2016年09月09日
人生の目的地・・・
人生に目的地を持つと、「こう生きるべきだ」という生きる姿勢が生まれます。
まじめに、善良に、責任感を持って、崇高に、気高く、懸命に生きれば、きっとあとで褒めてもらえるし、天国に行ける。それが人間として目指すべき道だ。
そうじゃない生き方は、罪深く、この先悪いことが起きて不幸になるし、地獄に落ちる。
なんてことを、本気で信じてしまうのが目的地志向の生き方です。
これは長年、ほとんどの宗教が私たち人類を搾取してきた基本的なトリックです。
それはいつも未来に依存させています。未来志向になれば「いま」を忘れます。
そして目的地に着くように、失敗しないようにと、深刻さが生まれ、緊張が生まれ、恐れが生まれてしまいます。
自分はうまくいってはいないのではないか、自分の人生は間違っているのではないか、他の人に比べ劣っているのではないかと、比較が生まれ、嫉妬が生まれ、競争が始まります。
そもそも、人生にはそんな目的地などどこにもありません。
人生は目的を達するための手段ではなく、生きるということ自体が目的なのです。
だから、取り逃がしようがありませんし、失敗もあり得ません。失敗の人生も、成功の人生もないのです。
いまの自分の人生がどのように見えたとしても、それでいいのです。パーフェクトです。
いままでもずっと完璧だったし、これからもずっと完璧です。
私たちは、「いまここ」で完璧な存在なのに、そのことに気づかず何を達成しようとしていたのでしょう。誰になろうとしていたのでしょうか。
人生に克服すべき課題なんて何もないのに・・・。
まじめに、善良に、責任感を持って、崇高に、気高く、懸命に生きれば、きっとあとで褒めてもらえるし、天国に行ける。それが人間として目指すべき道だ。
そうじゃない生き方は、罪深く、この先悪いことが起きて不幸になるし、地獄に落ちる。
なんてことを、本気で信じてしまうのが目的地志向の生き方です。
これは長年、ほとんどの宗教が私たち人類を搾取してきた基本的なトリックです。
それはいつも未来に依存させています。未来志向になれば「いま」を忘れます。
そして目的地に着くように、失敗しないようにと、深刻さが生まれ、緊張が生まれ、恐れが生まれてしまいます。
自分はうまくいってはいないのではないか、自分の人生は間違っているのではないか、他の人に比べ劣っているのではないかと、比較が生まれ、嫉妬が生まれ、競争が始まります。
そもそも、人生にはそんな目的地などどこにもありません。
人生は目的を達するための手段ではなく、生きるということ自体が目的なのです。
だから、取り逃がしようがありませんし、失敗もあり得ません。失敗の人生も、成功の人生もないのです。
いまの自分の人生がどのように見えたとしても、それでいいのです。パーフェクトです。
いままでもずっと完璧だったし、これからもずっと完璧です。
私たちは、「いまここ」で完璧な存在なのに、そのことに気づかず何を達成しようとしていたのでしょう。誰になろうとしていたのでしょうか。
人生に克服すべき課題なんて何もないのに・・・。
2016年09月08日
もっと気楽に・・・
日々の経験は、気分が創り出していると言っても過言ではありません。
幸せな気分が幸せな経験を作り出します。
自分が不幸だと思えば、みじめな一日が待っています。
深刻さは敵です、もっと気楽に考えて捉えて生きましょう。
朝起きたら、一番に「今日はいい日になりそうだ!」と口に出してつぶやく習慣をつけてください。
必ずそうなっていくようになってきます。
これは、人生を素晴らしいものにしていく秘儀であることに気づくでしょう。
幸せな気分が幸せな経験を作り出します。
自分が不幸だと思えば、みじめな一日が待っています。
深刻さは敵です、もっと気楽に考えて捉えて生きましょう。
朝起きたら、一番に「今日はいい日になりそうだ!」と口に出してつぶやく習慣をつけてください。
必ずそうなっていくようになってきます。
これは、人生を素晴らしいものにしていく秘儀であることに気づくでしょう。
2016年09月07日
何をやるかは問題じゃない
いまやっていることが何であれ、そこに心を込めて、深く自覚している状態を「禅」と言います。
それこそが生きるということです。
何をやるかが問題ではありません。
どんな自分でそれをやっているか、それが大切です。
ベトナムに、テイク・ナット・ハンという有名な禅僧がいます。彼は、ベトナム戦争時には、敵味方に関係なく多くの命を救いました。
彼は、「禅とは何か」という問いかけに、
「いまここを自覚していること」
「目の前の現実に心を込めること」
と答えました。
「皿を洗うときは皿を洗え」 と。
何をやるにも真剣に、ということです。
それこそが生きるということです。
何をやるかが問題ではありません。
どんな自分でそれをやっているか、それが大切です。
ベトナムに、テイク・ナット・ハンという有名な禅僧がいます。彼は、ベトナム戦争時には、敵味方に関係なく多くの命を救いました。
彼は、「禅とは何か」という問いかけに、
「いまここを自覚していること」
「目の前の現実に心を込めること」
と答えました。
「皿を洗うときは皿を洗え」 と。
何をやるにも真剣に、ということです。
2016年09月06日
今、幸せになろう
理想郷(環境・持ち物)が自分を幸せにしてくれるんじゃありません。
幸せな自分のまわりに、理想郷(よい環境)が作られるんです。
幸せな気持ち・・・・・それは感謝の気持ち。
幸なせ気持ち・・・・・それは素直な気持ち。
幸せな自分のまわりに、理想郷(よい環境)が作られるんです。
幸せな気持ち・・・・・それは感謝の気持ち。
幸なせ気持ち・・・・・それは素直な気持ち。