2013年07月15日

自分次第で変わる世界

同じ光景を見ても、ある人には良いことに思え、別の人には悪に映ります。その光景の実態の真相は、善でも悪でもなくて、見ている人が決めています。

自分の心の鏡に何を映すかによって、この世は善にも悪にも見えるのです。

この世に生きていれば、色んな価値観の相克から、様々な様相が出現します。しかし、その中でも何を「見つめる」のかは、自分が選択できます。

生きることが苦しい人は、何を見てもその中に苦しさしか見つめません。しかし、どんな中にも幸福を見ることができるはずなのです。どんな場合でも、「生きているだけでも有り難い」という原点まで視点を落とすと大丈夫です。必ず変わっていきます。

人間は、何事も良い解釈・全肯定を徹底して生きていけば、この世は天国に見えるのも真実です。同じ生きるならば、この方がお得です。他人や運命などは関係なくすべては自分次第なのです。

2013年07月14日

捉え方でどうにでもなる

人生は私たち一人ひとりが、それぞれの目を通して見ている映画です。

そこに何が起こっているかは大した違いはありません。

それをどのように受け取るかが重要なのです。

どんなことが起こっていても、どんな出来事に遭遇しても肯定的に明るい未来が開けるように捉えていけば、常に穏やかに平安に暮らせます。

2013年07月13日

人は、その心の状態に合わせた人生を生きる

「怖れるな。怖れることは怖れることを引き寄せる」とキリストは言いました。人間の心はその波長に合ったものを引き寄せるようにできています。

怖れは怖れを、不安は不安を、怒りは怒りを、引きつけます。人を妬み恨む心、驕り慢心する心は、それにふさわしい事象を引き寄せます。

逆もまた真です。常に心を善意で満たしている人は善意を引き寄せ、人に親切にしている人には親切が、感謝している人には感謝が返ってきます。

2013年07月12日

体験をあまりに真剣に受け取らない

人生の体験をあまりに真剣に受け取ってはいけません。とくに、その体験のために苦しんではなりません。

なぜなら、本当はすべてはほんの夢にすぎないなですから・・・・。

もし状況が悪くて、耐え忍ばなければならないとしたら、その状況をあなたの一部としないことです。

人生のあなたの役を演じなさい。そして、それが単なる役に過ぎないということを忘れないでください。

2013年07月11日

あなたが公式を創っている

多くの人が、「社会意識」「一般常識」というような、周波数的には有限の低次の波動の考え方につかまっています。

社会意識は制限だらけで、「こうあるべき、この方がいい、このほうが安全、このほうが正しい、こうでなくてはいけない」というように非常に不自由です。

たとえば、「楽しく遊んでいるだけでは、人間は食べてはいけない」というような有限的な考え(つまり社会意識)、そこにつかまっていると、その狭い範囲だけの現実しか自分に許可できなくなります。

社会意識というものは、「これを守らないと、とんでもない目にあうぞ」という脅しのプログラムです。ものすごく制限され、限定され、恐怖と不安に裏打ちされている思考なのです。

あなたに生きる喜びや希望を感じさせないような窮屈なものです。そういう制限された思考の波動にあなたがリンクするとき、あなたの人生も制限だらけのつまらないものとして創造されていくのです。

私たちは社会意識によって、データ化されたり、プログラミングされているという事実を知っておいてください。

一般社会常識は、狭い範囲の固定観念です。一般常識こそ、疑ってみてください。

「遊んで暮らす」

こういう表現を聞いたときのあなたのイネージは限定的になっていませんか?
「遊んで暮らす」は「いっさいの仕事をしない」という公式になっているのではありませんか?
「仕事=辛いもの」という公式になっていませんか?
「給料が少ない=うれしくない、みじめ」という公式になっていませんか?
「結婚していない=人生負け組」という公式になっていませんか?
「今、病気を患っている=不幸」という公式になっていませんか?
「ロマンティックなパートナーがいない=自分の人生は不完全」という公式になっていませんか?

もともと宇宙には何も決まった公式はありません。あなたが「公式」を創っているのです。

実は、「遊んで暮らす」は、遊びが仕事になり、仕事が遊びになることです。
どうぞ、あなたの公式を自由で楽しいものに創り変えて、それをあなたの常識にしていってください。

社会意識が悪いと言っているのではありません。それに従うかぎり、あなたが想像をすることも、直感を受け取ることも、奇跡ともいえる体験ができることもほとんどなくしてしまうのです。

あなたは、想像という高次の波動で奇跡をたくさん起こしたいですか?
それとも、社会常識という低次の波動で、今までと似たような古いできごとを繰り返すだけでいいですか?