2013年03月28日

白光の誓い

自分を愛して、

他人を愛します。

やさしさと笑顔を絶やさず、

人の悪口は決して言いません。

長所をほめるように努めます。


以上、これは銀座まるかんの創設者斉藤一人さんの一番弟子の柴村恵美子さんが斉藤一人さんから最初に教わったことだそうです。(ちなみに、斉藤一人さんが全国納税者番付で1位になったとき、柴村恵美子さんは全国86位でした。)

人の短所は責めず、自分の長所を自慢しない。人の良いところをいっぱいほめてあげられればいいですね。

2013年03月27日

「幸」も「不幸」も絶対的なものではない

今日、自分が「ああ、私は幸せだ」と思ったとします。そうすると、昨日までに体験したイヤなこと・・・ケンカや争い、病気や事故なども、すべてが「今日の幸せ」に至るための原因であったことがわかります。逆に、今日「私ほど不幸な人はいない」と思ったとしましょう。そうすると昨日までのすべての出来事が「不幸」の原因になってしまいます。

しかし、今日「私は不幸だ」と思った人でも、翌日に嬉しいことがあったりすると、突然に「私ほど幸せな人はいない」と思い、昨日までの出来事は昨日の段階ですべて「不幸」であったのに、今日「幸せ」になったがゆえにすべて「幸せ」になってしまいます。

このことは、オセロゲームにとてもよく似ています。「幸」と「不幸」は、オセロゲームのように白と黒がひっくり返るのです。つまり、「幸」も「不幸」も絶対的なものではないということになります。

「私」の気分ひとつで変わるのです。

2013年03月26日

不遇を口に出してはいけない!

たとえ貧乏を強いられた生活を余儀なくされたとしても、そのことをむやみやたらと口にしてはいけません。同じように、「一生懸命に働いているのに報われない」とか「自分にはできそうにない」とか「条件が悪すぎる」といった否定的な言葉も口にしないようにしましょう。

むしろ、「一生懸命、働いているんだから、いつか必ず報われる時が来る。必ず豊かになる」と確信することが大切です。

金運がある人やお金持ちは、いつも「お金は天下のまわりもの、必要に応じて入ってくる、食いっぱぐれる心配はない」「一生懸命働いているから、儲かって当然」「豊かになる権利がある」と思っています。

「豊かさを思えば豊かになり、貧乏を思えば貧乏になります。思うことは非物質的ですが、この想念の世界こそすべてを創り出す源であることを忘れてはなりません」とマーフィー氏も言っています。

2013年03月25日

淡々と受け入れて生きる

心の不健康は、「他者を責める」か「自己を責める」か、そのどちらかによって生まれます。他者を責めれば、攻撃的になり、時には殺人を犯したり、人を傷つけたりします。自分を責めれば、ウツ状態になります。

そのどちらも、自分に降りかかる現象を否定しているところから始まります。そして、「なぜ?」「誰のせい?」と問いかけるようになります。

聖書の中に「汝、なぜか、なぜかと問いかけるなかれ」という言葉があります。よく相談や質問される方は。「なぜ、なぜ」とおっしゃいますが、問いかけた瞬間、問いや相談の形をとって、その現象を否定しています。

自分の身に降りかかってくることについて問いかける必要はありません。それはそれでよしと、そのまま受け入れて生きていくと楽なのです。

たとえば、不登校の子供がいたとき、「これは誰のせいか」と追求しはじめてしまうとキリがありません。夫が怒鳴っているから、夫婦関係が悪いから、甘やかして育てたから・・・。原因を求めても問題は解決しません。

何も責めず、現象を否定せず、そのまま受け入れてただ淡々と生きていけばそれでいいのです。

2013年03月24日

すべての人は存在それ自体に価値がある・・・と気づく

人に認められることにしか幸せを見い出せない人は、周りの人間の価値観に振り回されることになります。

もしあなたがそういう人なら、周りに、実績で人を判断する者たちが多ければ、あなたは立派な実績を上げなければならない。周りに、お金や財産で人を判断する者たちが多ければ、あなたは金持ちになる必要がある。周りに、社会的なステイタスで人を判断する者たちが多ければ、あなたは立派なステイタスを手に入れないといけない。・・・ことになります。

精神レベルの低い段階の文明(星)では、目に見える結果を出した者が、人から評価を得るようになっています。今の世の中です。残念なことです。

子どもたちでさえも、目に見える結果で評価されてしまうケースが多いものです。

大人も子どもも、周りから評価されるために、目に見える結果ばかりを追い求め、その結果、自分らしさを埋没させてしまっています。

目に見える結果によって人から認められようとする限り、比較の世界にはまり込んでしまいます。比較の世界では、自分の相対的な価値は上がったり下がったりします。

文明が進んでくると、多くの人々が、その人(人間)そのものの存在それ自体の価値を認識できるようになってきます。それで誰も肩身の狭い思い、劣等感を抱かずに安心して暮らしていけます。