2015年09月25日

本物に成ると本物に出会う

自分が本物に成ったとき、外部にある本物がはじめて見え出します。

本物の人物に出会え、本物の本に出合え、本物の情報に出会えます。

本物の、というかその時の自分のレベル(程度)にあった環境、状況に出会えます。

要するに、私たちは自分に相応しい状況、事象、人々に出会っているだけです。

悪いことも良いことも外側のせいではないのです。、すべて自分が創り出し、引き寄せているのです。

2015年09月24日

あなたが勝手にそう解釈しているだけです

今のあなたの目の前に広がる現実的結果や状況がどんなものであれ、それ自体があなたを不幸にしているのでもなければ、あなたの人生を邪魔しているわけでもありません。

そう思うのは、あなたが勝手にそう解釈しているだけです。

すべての状況は中立で、なんの意味もなく、いかように解釈するのも自由です。

否定的に解釈すれば、否定的な結果に結びついていき、気持ちも沈むでしょう。

肯定的に解釈すれば、肯定的な結果に結びついていき人生も開けていくでしょう。

どちらに解釈する自由もあなたに与えられています。

今の目の前の状況は、すべてあなたの創造物です。その責任を認識してください。

他のなにかに責任を転嫁する限り、あなたは自分の人生の創造主の座を他に譲っていくことになります。

2015年09月23日

本当に必要なことは必ずもたらされる

あなたにとって本当に必要なことは、はじめの選択で違うものを選んだとしても、また別のときに再びその機会がやってきます。

そして、「だったら、はじめからそうすればよかった」ということもなく、遠回りに感じた期間も、あなたに必要な時間だったのです。

つまり、そうなったことにも意味があり、どこにも失敗はないのです。

2015年09月22日

養生を心がけない者にとって晩年は禍(わざわい)である

病気と死とは、養生を心がけない者たちにとっては最大の禍です。

彼らにとって、病気は苦痛をともない、死は恐怖の的(まと)でしょう。とくに死については、自らの現世における罪深い生活とそれに対する神の裁きとが心から離れないでしょう。

こてに対し、極少食者たちは、そうした悩みや恐怖はいっさいありません。なぜなら、飲食における充分な節制によって病気にならない身体になっているからです。

また、死については、不可避の出来事を恐れることの愚かさがよくわかっており、むしろ他界に際しては神の恩寵があることをかたく信じているからです。

2015年09月21日

目の前の障害は固定観念を指摘するシグナル

それが嬉しいことであれ、悲しいことであれ、私たちは何かを目の前にしたとき、前後関係が断たれた「限られた事物・区切られた時間の中」に意味や価値を見い出そうとしてしまいます。が、本当は、そこには意味も価値もありません。ただ単に、そうだったのです。

これは、逆に言うと、このように言うこともできます。

現実に対してどのような意味や価値を付与するかは、すべて自己責任であり、また、そこには第三者が決して踏み込むことができない絶対的な自由がある、と。

精神世界では「世界は、自分の心の投影である」とか「世界は、すべて自分の思いどおりに形づくられる」などと語られますが、気づいてしまえば、それはとてもシンプルで明快な事実です。

なぜなら、あらゆる意味や価値は、対象にではなく、私たちのとらえ方にあるのですから。
とにもかくにも、自分の人生経験や生活習慣の中で身につけた固定観念(あらゆる決めつけ)は、想像以上に自分自身の自由を奪う足かせとなっています。

もしいま、あなたの目の前に障害があるならば、それはあなたの固定観念を指摘してくれるシグナルなのかもしれません。