2013年07月24日

貝原益軒に学ぶ

貝原益軒の「養生訓」というと、健康法を説いた本のように思いますが、益軒が説いているのは、人生をいかに楽しんで生きるかということです。

「人間の命は私物ではなく天地のものだから、謹んで、よく養ひて、そこなひやぶらず、天年を長くたもつべし」 というのが、益軒の根本的な考えです。

さて、例えば、養生の術についてはこう言っています。
「養生の術は安閑無事なるを専らとせず、心を静にし、身を動かすをよしとす。身を安閑にするは、かへって元気とどこほり、ふさがりて病を生ず。これをもって、四民(あらゆる職業の人)ともによくつとむべし。安逸なるべからず。これ即ち養生の術なり」

また、日常生活の中で、面倒くさがってはいけない、と教えています。
「煩(はん)を厭(いと)うはこれ人の大病なり。これ人事の廃(すた)れ緩(ゆる)み、功業の成らざる所以(ゆえん)なり」 (「慎思録」)

面倒くさがらず、勤勉に努めないと事業は成功しない、ということです。

現代に生きる私たちも自戒しなければならない言葉です。

2013年07月23日

人の価値とは・・・

真実を言えば、人の価値とは、いままで何を獲得してきたか、何を達成してきたかではありません。また、この先何をするか、何を成し遂げるかでもありません。

そこに自分の価値を求め続けるかぎり、必然的に、自己否定感との終わりなき孤独な戦いに身を投じることになります。

獲得に失敗すれば、落ち込みます。成功しても、「評価」を維持するために次なる戦いに身を投じなくてはなりません。苦しい戦いが果てしなく続いていきます。

そんなところに、私たちの本当の価値はありません。

人の価値とは、「まさに今、どのような自分で在るのか」だけです。
自分に対して、他者、社会、宇宙に対して、まさにいま、どのような自分であるのか。

ただもう、それだけなのです。

2013年07月22日

自分が輝ける道を見つける・・・人生に失敗はない!

私たちは、何かの天才かもしれません。まだ自分で気づいていなかったり、世の中であまり必要とされていない分野なだけです。

世の中、選択肢は無限にあるんです。何かやって、うまくいかなかったら、興味の向くままに他の道に移ればいいだけです。自分に合った道を選べばいいだけです。敗北感を持つことなんてないんです。

人生に失敗などありません。起きている現象はすべてプロセスであり、結果ではありません。もし失敗があるとしたら、それは、自分を「失敗者だ」と思ってしまったそのことです。

失敗は、外側の世界ではなく、内側の世界で起こることなのです。
そして内側の世界は、誰の助けを借りることなく、時間が過ぎるのを待つことなく、瞬時に変えられます。

もし今、あなたが自分をそんな否定的イメージで見ているとしたら、今すぐに変えてしまいましょう。自己イメージを創り上げているのは、ほかならぬ自分自身だと気づくことがその第一歩です。

2013年07月21日

簡素に生きる

私たちはよく、「何と何さえあれば幸福になれるのだが」などと言います。しかし、いくら多くの欲望が満たされても、それで幸福になれるかと言えば、決してなれません。

物は、持てば持つほど、さらに新しい欲が湧いてきます。

簡素に生きることを学びなさい。

2013年07月20日

あるがまま・・・「それでいいのだ!」

本当に知っている者はあまり語りません。必要以上に語る者ほど本当は知りません。
真の知者は、五感に惑わされず、神経質にならないようにして、意識の煩わしさを解きほぐします。

そして、主張したがる意識を和らげて、他の普通の人々となじみます。このことを「神秘なる合一」と言います。

だから真の知者は、神秘なる合一を果たした上で社会の中に溶け込んで生活しているため、社会の人々は真の知者が誰であるのかを知ることはできません。

このように、神秘なる合一を果たし、いわゆる悟ってしまえば、語ることをやめてしまいます。何故なら、「すでにすべてがOKだから」 「それでよいのだ」だからです。
「今さら何を言う必要があろうか」ということが、心の真低からわかるからです。

でも、苦しい今の自分はどうすればいいのでしょうか?もっと成長したい!と誰もが思っているものです。しかし、真の合一の視点では、そのような今の色んな状態、生きていること自体が、歓喜するほど素晴らしいことであるのがわかります。それなのに、「その上で、さらにお前は何になろうとしているのか?」ということなのです。

人間が存在している不可思議に真から気づくと、病気であろうが、失業しようが、独身であろうが、誰かに罵倒されようが、それは生きている間だけの些細なオプションに過ぎないことがよくわかります。さらに言えば、そのようなすべての環境(状況)は、魂への有り難い刺激であるのが真相なのです。

すべての人間と生命が、すでに最高に素晴らしい存在である真相がわかると、「悟る必要もなかった」ということまでわかります。

生かされていることに感謝しながら暮らすことが、最も聖なる生きる道なのです。
これは、悟りを越えた先に存在する「行為」なのです。