2013年06月26日

それぞれの役割を精一杯果たして・・・冥界に移っていく


どんな偉大な指導者も,哲人も一人で人格を形成した人はいません。

人は皆凡夫なり、と聖徳太子は言ったそうですが、人は皆、縁の中でしか生きられません。
その意味では人は皆一様に凡夫です。

どなたかの作かは思い出せませんが、一篇の詩が思い出されます。時折、思い起こしては自らを省みます。


生きているということは、誰かに借りをつくること

生きているということは、その借りを返していくこと

誰かに借りたら、誰かに返そう

誰かにそうしてもらったように、誰かにそうしてあげよう

誰かと手をつなぐことは、その温もりを忘れないでいること

巡り合い、愛し合い、やがて別れのその時

悔いのないように今日を明日を生きよう

人は一人では生きてゆけないから

誰も一人では歩いてゆけないから

2013年06月25日

先縁尊重(せんえんそんちょう)

致知出版の藤尾秀昭社長が「致知」創刊以来、34年間にわたり、それぞれの一道を拓いてきた人たちに折に触れ、「人生で大事なものは何か」という質問をしたそうです。

それらたくさんの人たちの答えを一語に集約すると、「先縁尊重」という言葉に表現できると仰っておられました。

原点の人を忘れないで大事にするということです。

たとえばAさんからBさんを紹介され、Bさんと大変親しくなり、Aさんを忘れてしまう。
挙句は無視したり、不義理をする。そういう原点の人を大事にしない人は、運命から見放されてしまう、ということです。

先縁の原点は親です。親がいなければ、私たちは誰一人この世に存在していません。
その親を大事にしない人は、やはり運命が発展していきません。

親が存命の人は、親を大事にしましょう。

2013年06月24日

よい教え、よき言葉に触れて学ぶ

北宋の学者で政治家でもあった欧陽脩(おうようしゅう)が次のような言葉を残しています。

「人の性は物に因(よ)りて則(すなわ)ち遷(うつ)る。学ばざれば則ち君子を捨(や)めて小人と為る」

人の性質はふれる物によって変わる。聖賢の教え、よき言葉にふれて学ばないと、いつの間にかつまらない人物になってしまう、ということです。

心したい言葉です。

2013年06月23日

来るものを好悪せず受ける

来るものをして、一応すべて来らしめよ。

「来るもの」が時として、「人」であることもあれば、「事」であることも、「物」であることもあります。それらは必ずあなたに何かを与えるためにやって来つつあるのです。

教訓を持って来てくれることもあれば、経験を持って来てくれることもあり、富を持って来てくれることもあります。時として損失を持って来るかのように見えることもあるかもしれませんが、それを静かに受けて省みるとき、それは魂にとって必ず何らかの収穫を持って来てくれているから、決してそれを嫌ったり呪ったりしてはなりません。

すべてのものは、それを素直に受けて味わうとき、きっと何らかの益となります。

それらが損失と見えるのは、自分がある立場に固執して、ある立場からのみそれを観るからです。人生のあらゆる経験において「絶対損失」となるものは一つもありません。

2013年06月22日

小さな日々の恵みに感謝しましょう

どんな小さな恵み、小さな贈与、または小さな幸福にせよ、それに対して純粋な心で感謝しましょう。

大きな恵福であるから感謝し、日常の小さな恵福であるから感謝しないというのでは、その人の心は現象的分量にとたわれ、取引根性、打算根性に陥ってしまっているのです。

分量を見ないで、その恵みの奥にある神の愛を見なければなりません。そして感謝の念を起こすとき、自分の心が浄(きよ)まるのです。

常に感謝しましょう。常に感謝しましょう。豊かにして幸福なる世界(天国)は既にあるのです。