2013年07月05日

先師先人に学ぶ

この人生において、私たちの人格が真に確立し、もはや惑うこともなくなるまでには到底、自分ひとりの力ではなし得られるものではありません。

私たちは常に権威ある人格、品性、気魄(きはく)、才能に接触し、誘掖(ゆうえき)され、陶冶(とうや)されて、始めてようやく、自己を充実し、洗練し、向上させることができます。

この厳粛な事理を閑却し、蔑視する者は必ず人生に退転し、迷惑し、顛倒(てんとう)するの愚に終わらなければなりません。

2013年07月04日

「天国言葉」の言霊パワーで神様を味方につけ、ツキを呼ぶ

「天国言葉」を日々の暮らしの中で、できるだけ口にして、「地獄言葉」は使わないようにしましょう。そして、丁寧な、美しい言葉遣いで話すようにしましょう。

ちなみに、「天国言葉」というのは、日本一の高額納税者の斎藤一人さんがよく言われる、「ついてる。うれしい。楽しい。幸せ。ありがとう。感謝します。ゆるします」などの良い言葉を意味します。一方、「地獄言葉」というのは、「ついてないとか、不平不満。愚痴・泣き言。悪口・文句。心配事。許せないなど」悪い言葉です。

ところで、天国言葉をいつもいつも使っていると、あなた自身の魂の波長が高まっていきます。それに引きつけられて、波長の高い、いい人が集まってきます。

言葉には、言霊という不思議な霊力が宿っています。天国言葉の言霊は、いい人を呼び寄せるばかりか、いい出来事、いい霊、幸運も呼び寄せます。

ですから、「ツイてる・うれしい・楽しい・幸せ・ありがとう・感謝してます・許します」といった「天国言葉」を使えば、もう一度、その言葉を口にしたくなるような出来事が必ず起きます。

天国言葉を使うことが習慣になれば、金運、仕事運。恋愛運、対人運に恵まれた自分になっています。

私も、7〜8年は試していますが、本当にそうであることを実感し感謝、感謝の恵まれた豊かな、幸せな毎日を送っています。

ところで、このことは、古今の宗教家・偉人なども、もう何千年も前から同じようなことを言っているので、どうやらこれは宇宙の法則のようです。法則には逆らわず従った方がお得です。

2013年07月03日

人間性を練り、自らの人格を高め、深めていくために学ぶ

人はどんな環境にいても、その環境を生かして幸福のメロディを奏でることが、この世に生を受けた者に課せられた使命だと思います。

明末の儒者、呂新吾(りょしんご)にこういう言葉があります。
「学問の要訣はただ八箇の字にあり。徳性を涵養し、気質を変化す」

人が学ぶのは思いやりや誠実、勤勉、忍耐の心といった徳性というものを養い育て、悪い気質を良い気質に改めていくためだ、というのです。

私たちは人間性を練り、自らの人格を高め、深めていくために学ぶのです。

呂新吾はさらに言います。
「我を亡ぼす者は我なり。人、自ら亡ぼさずんば、誰か能(よ)く之を亡ぼさん」

どういう人生を送るか。すべては自分にあります。そして、自分の在り方は幼児を含め自分を取り巻くあらゆるものに良くも悪くも影響していきます。

そのことをすべての大人(成人)は忘れてはなりません。

2013年07月02日

一生青春、一生修養

百一歳で亡くなられた松原泰道師の座右銘は、「一生修行、臨終定年」でした。師はその通りの生涯を全うされました。

百六歳になられた「しいのみ学園」の創設者・昇地三郎さんの座右銘は「人生は挑戦」です。自分の怠け心に挑戦して自分の目標とする方向に自分を高めていく、それが生きがい、との持論どおり、挑戦の人生は続いています。

松下幸之助氏は幼少期より病弱でした、しかし九十四歳の天寿を全うされました。その松下氏も七十歳になった時、肉体の衰えを覚えるようになり、心意気に燃えて日々を送るにはどうすればよいのかを模索したといいます。その時出会ったのが、サミュエル・ウルマンの「青春」という詩でした。以下に一部のみを掲げます。


「青春とは人生のある期間をいうのではなく、心の様相をいうのだ
年を重ねただけで人は老いない
理想を失う時に初めて老いがくる
歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ
年は七十であろうと十六であろうと
人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる
希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる」

松下氏は言う。
「身体に年を取らせても、心に年を取らせてはならない。常に青春であらねばならないと、心持ちを養うように努めている。すると、ものの考え方が若々しくなってくる。希望が次々と湧いてくる」

一生青春の人生を送る人は常に、心の工夫用心を怠らない人です。すなわち修養を怠らない人です。青春と修養は一対です、私たちもこうありたいものです。

2013年07月01日

運をつかむ

北宋時代の中国の文人で、唐宋八大家の一人と言われた蘇老泉(そろうせん)の「管仲論」に次の言葉があります。

「効の成るは成るの日に成るに非ず。けだし必ず由(よ)って起る所あり。禍の作(おこ)るは作る日に作らず。また必ず由って兆(きざ)す所あり」

人が成功するのは、ある日突然成功するわけではない。平素の努力の集積によって成功する。禍が起こるのも、その日に起こるのではない。前から必ずその萌芽があるということです。

運をつかむのもまた、同じことでしょう。

運をつかむには、運に恵まれるにふさわしい体質を作らなければなりません。言い換えれば、運を呼び寄せ、やってきた運をつかみ取るだけの実力を養わなければならない、ということです。