今、有るものは、有り難い、あることの難しいものだと気づいてください。そうすると人は幸せになれます。
幸せは、客観的に何があるか、どういう状況にあるかだけでなくて、それを「有り難い」とみるかどうかにかかっています。
あたりまえでなくて、有り難いものだと気づけば、幸せの度合いは高まります。
苦しみは刺激となって、それまでのたるんでしまった自分に、あたりまえを輝いたものとして見せてくれる効果を持っています。
強い人間になるためには、逃げないで苦しみを受け止め、それを土台として、苦しみさえも愛せる者に成長を遂げていくことが大切です。
日記カテゴリの記事一覧
2017年04月13日
2017年04月12日
美しい魂を穢(けが)してはなりません
ただただ自然体であれば、私たちは美しい存在です。
いつもいつも良心に従っていれば大丈夫です。
自身の心にある不安や恐れ、すべての邪気はその美しさを穢します。
心身をゆるめ美しくありましょう。
そうすれば、創造の波動によって、様々な新たな命を生み出す力が起こってくるでしょう。
美しい魂に宿る直感と想像の波動こそ私たちの加護となるでしょう。
花のように美しい己の魂をゆめゆめ穢してはなりません。
いつもいつも良心に従っていれば大丈夫です。
自身の心にある不安や恐れ、すべての邪気はその美しさを穢します。
心身をゆるめ美しくありましょう。
そうすれば、創造の波動によって、様々な新たな命を生み出す力が起こってくるでしょう。
美しい魂に宿る直感と想像の波動こそ私たちの加護となるでしょう。
花のように美しい己の魂をゆめゆめ穢してはなりません。
2017年04月11日
本人の気の持ち方次第
不幸になるのも、幸福になるのも、本人の気の持ち方次第です。
自分が不幸が好きなときは不幸ですし、幸福が好きなときは幸福です。
不幸になるのも幸福になるのも、本人の望み次第で、自分の好き勝手になれるものです。
その人の不幸なのは、神様が不公平であったり、他人が意地悪だったりするためではありません。
自分の捉え方次第、解釈次第で状況はどうにでもなります。
すべては「あるがまま」なのですから。
自分が不幸が好きなときは不幸ですし、幸福が好きなときは幸福です。
不幸になるのも幸福になるのも、本人の望み次第で、自分の好き勝手になれるものです。
その人の不幸なのは、神様が不公平であったり、他人が意地悪だったりするためではありません。
自分の捉え方次第、解釈次第で状況はどうにでもなります。
すべては「あるがまま」なのですから。
2017年04月10日
中 庸
全てを中庸に保ちましょう。
精神成長のことのみに限りません。
肉体を鍛えることのみではありません。
心をゆるめることのみではありません。
人に左右されてはなりません。
我意に執着してもなりません。
全てにおいて偏ってはなりません。
霊・心・体の調和が取れ全てが中庸であるとき、真実の己の姿が表れます。
それが悟りと知りましょう。
ところで、中庸の大切さを真に理解するためには、何か関心のある事に対して「極端」を経験することも大事です。
人の迷惑にならないよう、自分の身体を壊さないように注意して、おおいに極端を試みるのもよいでしょう。
精神成長のことのみに限りません。
肉体を鍛えることのみではありません。
心をゆるめることのみではありません。
人に左右されてはなりません。
我意に執着してもなりません。
全てにおいて偏ってはなりません。
霊・心・体の調和が取れ全てが中庸であるとき、真実の己の姿が表れます。
それが悟りと知りましょう。
ところで、中庸の大切さを真に理解するためには、何か関心のある事に対して「極端」を経験することも大事です。
人の迷惑にならないよう、自分の身体を壊さないように注意して、おおいに極端を試みるのもよいでしょう。
2017年04月09日
情熱を持ちましょう・・・なんでも構いません
情熱を失うことのないようにしましょう。
情熱を向けるものをお持ちでしょうか。
あるならば、その気持ちを大切にし、一心に取り組みましょう。
続けるとなおいいことがあるでしょう。
無いならば、まずはそれを探しましょう。
情熱を燃やすことこそ、己の魂を取り巻く不安、恐れ、心配、邪気、負の要素全てを燃やし尽くし、浄化に導く術(すべ)です。
何かに情熱がないと、人生もつまらなくなり、老けていくのも早くなるものです。
情熱を向けるものをお持ちでしょうか。
あるならば、その気持ちを大切にし、一心に取り組みましょう。
続けるとなおいいことがあるでしょう。
無いならば、まずはそれを探しましょう。
情熱を燃やすことこそ、己の魂を取り巻く不安、恐れ、心配、邪気、負の要素全てを燃やし尽くし、浄化に導く術(すべ)です。
何かに情熱がないと、人生もつまらなくなり、老けていくのも早くなるものです。