すべての出来事、すべての経験には、機会を創出するという目的があります。
出来事も経験も、「機会」なのです。それ以上でも、それ以下でもありません。
「悪魔のしわざ」とか「天罰」とか「神様からの褒美」などと考えるのは過ちです。
出来事や経験は出来事や経験として起るに過ぎません。
それに意味を与えるのは、私たちがどう考え、どう行動し、どう応えるかです。
出来事も経験も、私たちに引き寄せられる機会で、意識を通して個人的、集団的に創りだされます。
意識は経験を創り出します。その意識を、私たちは向上させようとしています。
機会を引き寄せるのは、あるべき自分を創り、体験するためで、あるべき自分とは、今の自分よりも高い意識を持った存在ということです。
日記カテゴリの記事一覧
2017年09月28日
2017年09月27日
重要なものは何もない
本質的に重要なものは何もありません。
私たちが出来事に意味をつけ加えて、重要なものにしているだけです。
世界(宇宙)はある状況を与えることはできますが、その状況が何を意味するのかを決めるのは私たちです。
私たちが選択しなければ、何事も重要なことにはならないということです。
「重要なものは何もない」という知恵を充分に理解していれば、必ず役に立ちます。
慌てずにいられます。不安からも解放されます。平穏でいられます。
私たちが出来事に意味をつけ加えて、重要なものにしているだけです。
世界(宇宙)はある状況を与えることはできますが、その状況が何を意味するのかを決めるのは私たちです。
私たちが選択しなければ、何事も重要なことにはならないということです。
「重要なものは何もない」という知恵を充分に理解していれば、必ず役に立ちます。
慌てずにいられます。不安からも解放されます。平穏でいられます。
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2017年09月26日
今からでも運命は容易に改善できます
人間の人生に幸・不幸の違いが生じるのは、つまり運命が分かれるのは、その人間の物事への執着具合によります。
多くの人を観察すると、幸運と不運、生と死、に分かれる事実が存在します。
多くの人は、幸運や運命というものは、どこかの誰かによって勝手に自分に押し付けられた不公平なものだと勘違いしています。
しかし、その結果を作っている犯人は、自分自身です。
人は、「自分がした過去のことを忘れている」、「自分がした行為の、その本当の善悪に気づきにくい面がある」、という性質があります。
この二点を気づきにくくしているのは、その人の「執着心」です。
物事への執着心が強ければ強いほど、自分自身の間違いに気づけないのが人間なのです。
冷静に観察している第三者には、他人の行為の善悪はよくわかります。
だから人は、自分自身で自分を観察して、自分の悪い原因となりそうな行為に早く気づくことが、良い結果や幸運をもたらすことになります。
偶然や他人が決めた運命などは、実際には存在しないのです。
すべての結果は、自分自身が原因です。
自分のための我欲からの執着心を少なくし、自分がした行為を忘れずに、自分自身を静観することが、この世での幸運を「今も」日々に生み出しています。
だから、今からでも運命を容易に改善することが可能です。
多くの人を観察すると、幸運と不運、生と死、に分かれる事実が存在します。
多くの人は、幸運や運命というものは、どこかの誰かによって勝手に自分に押し付けられた不公平なものだと勘違いしています。
しかし、その結果を作っている犯人は、自分自身です。
人は、「自分がした過去のことを忘れている」、「自分がした行為の、その本当の善悪に気づきにくい面がある」、という性質があります。
この二点を気づきにくくしているのは、その人の「執着心」です。
物事への執着心が強ければ強いほど、自分自身の間違いに気づけないのが人間なのです。
冷静に観察している第三者には、他人の行為の善悪はよくわかります。
だから人は、自分自身で自分を観察して、自分の悪い原因となりそうな行為に早く気づくことが、良い結果や幸運をもたらすことになります。
偶然や他人が決めた運命などは、実際には存在しないのです。
すべての結果は、自分自身が原因です。
自分のための我欲からの執着心を少なくし、自分がした行為を忘れずに、自分自身を静観することが、この世での幸運を「今も」日々に生み出しています。
だから、今からでも運命を容易に改善することが可能です。
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2017年09月25日
今の瞬間から、ずっとずっと明るく幸せな人生に出来る
「継続する想いによって人生は支配されている」ということを自覚されるならば、その自覚の深浅に応じて、それが現実となってあなたの人生に現われてきます。
想念は動力であると同時に、ものの実質であるのです。
私たちが強く持続的に想い念じることが、その人自身の人生となり、運命となります。
あなたが今、何者であるかということは、これまで何をあなたが持続的に想い続けて来たかを表しているのです。
あなたは今、不幸であっても、それはあなたの過去の想念が「暗いこと」を想い続けて来た結果であるので、なおも「自分は不幸である」と暗いことを想い続けていれば、その不幸は続いていき、不幸を脱することはできません。
暗い運命の人は、自分の想念を「暗いもの」から一転して「明るいもの」に向け換えなければなりません。
そうすると、あなたの運命の「実質」と「動力」とが明るいものに一転し、明るい人生、幸福な人生が現われてきます。
物事は、いつもいつも肯定的に解釈して、明るい方、明るい方に心を向けておくことがとても肝要です。
想念は動力であると同時に、ものの実質であるのです。
私たちが強く持続的に想い念じることが、その人自身の人生となり、運命となります。
あなたが今、何者であるかということは、これまで何をあなたが持続的に想い続けて来たかを表しているのです。
あなたは今、不幸であっても、それはあなたの過去の想念が「暗いこと」を想い続けて来た結果であるので、なおも「自分は不幸である」と暗いことを想い続けていれば、その不幸は続いていき、不幸を脱することはできません。
暗い運命の人は、自分の想念を「暗いもの」から一転して「明るいもの」に向け換えなければなりません。
そうすると、あなたの運命の「実質」と「動力」とが明るいものに一転し、明るい人生、幸福な人生が現われてきます。
物事は、いつもいつも肯定的に解釈して、明るい方、明るい方に心を向けておくことがとても肝要です。
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2017年09月24日
世界は、人生は自分次第で変わる
同じ光景を見ても、ある人には良いことに思え、別の人には悪に映ります。
その光景の実態の真相は、善でも悪でもなくて、見ている人が決めています。
自分の心の鏡に何を映すかによって、この世は善にも悪にも見えるのです。
この世に生きていれば、色んな価値観の相克から、様々な様相が出現します。
しかし、その中でも何を「見つめる」のかは、自分が選択できます。
生きることが苦しい人は、何を見てもその中に苦しさしか見つめません。
しかし、どんな中にも幸福を見ることができるはずなのです。
どんな場合でも、「生きているだけでも有り難い」という原点まで視点を落とすと大丈夫です。
必ず変わっていきます。
人間は、何事も良い解釈・全肯定を徹底して生きていけば、この世は天国に見えるのも真実です。
同じ生きるならば、この方がお得です。
他人や運命などは関係なくすべては自分次第なのです。
その光景の実態の真相は、善でも悪でもなくて、見ている人が決めています。
自分の心の鏡に何を映すかによって、この世は善にも悪にも見えるのです。
この世に生きていれば、色んな価値観の相克から、様々な様相が出現します。
しかし、その中でも何を「見つめる」のかは、自分が選択できます。
生きることが苦しい人は、何を見てもその中に苦しさしか見つめません。
しかし、どんな中にも幸福を見ることができるはずなのです。
どんな場合でも、「生きているだけでも有り難い」という原点まで視点を落とすと大丈夫です。
必ず変わっていきます。
人間は、何事も良い解釈・全肯定を徹底して生きていけば、この世は天国に見えるのも真実です。
同じ生きるならば、この方がお得です。
他人や運命などは関係なくすべては自分次第なのです。
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