人は幸不幸を自分で生み出します。
自分の幸不幸を決めるのは自分自身であり、それを長続きさせるかどうかを決めるのも自分自身です。
それらのことは外から押しつけられるわけではありません。内的な状態なのです。
その原因は神でも悪魔でも、環境でもありません。
「思考」なのです。
それらは行為の結果であり、行為は思考の目に見える側面です。
習慣化した心の姿勢が行為の進路を決定し、「しあわせ」や「不幸」という反応を生み出します。
ですから、反応の状態を変えたければ、原因となる「思考」を変えなければなりません。
日記カテゴリの記事一覧
2017年12月17日
2017年12月16日
あなたの主人は「自我」ですか?「真理」ですか?
もしあなたが、感情的になりやすく、依怙地で、たえず自分の目的を追求し、自分に甘く、自己中心的だとしたら、あなたの主人は「自我」です。
自分を甘やかすことをやめ、温和で優しく、他人を思いやり、いつでもわがままな自分を捨てる覚悟ができているというのなら、あなたは真理の実現を心から求めています。
あなたは金持ちになるために努力をしたり、自分が属する集団のために情熱を持って戦ったりしますか?
社会的な権力や地位を渇望したり、見せびらかすような行動をとったり、自慢話をしたりしますか?
もしそうするというなら、たとえ自分では神を信じていると思っていても、あなたの心の神は「自我」です。
「私は、金銭欲を捨て、すべての争いから手を引きました。社会的な地位を気にせず、誰の目にもとまらなくても不平はありません。自分のことばかり話すのをやめ、ひとりよがりの自惚れを持って自分を見るのもやめました」
そう言うのなら、祈りの言葉を唱えることがなくても、あなたは至高の存在と共にいます。
自分を甘やかすことをやめ、温和で優しく、他人を思いやり、いつでもわがままな自分を捨てる覚悟ができているというのなら、あなたは真理の実現を心から求めています。
あなたは金持ちになるために努力をしたり、自分が属する集団のために情熱を持って戦ったりしますか?
社会的な権力や地位を渇望したり、見せびらかすような行動をとったり、自慢話をしたりしますか?
もしそうするというなら、たとえ自分では神を信じていると思っていても、あなたの心の神は「自我」です。
「私は、金銭欲を捨て、すべての争いから手を引きました。社会的な地位を気にせず、誰の目にもとまらなくても不平はありません。自分のことばかり話すのをやめ、ひとりよがりの自惚れを持って自分を見るのもやめました」
そう言うのなら、祈りの言葉を唱えることがなくても、あなたは至高の存在と共にいます。
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2017年12月15日
周囲のものすべては思考の色彩で色づけされている
人は自分が抱く思考の性質によって、低俗な領域と高尚な領域のいずれかで暮らしています。
世界が暗くて狭いと思えば、実際にそうなりますし、広い理解力があれば、それに応じて世界は広くて輝くところになります。
周囲のものすべては思考の色彩で色づけされています。
平安な心の人は平安な世界に暮らしています。
世界が暗くて狭いと思えば、実際にそうなりますし、広い理解力があれば、それに応じて世界は広くて輝くところになります。
周囲のものすべては思考の色彩で色づけされています。
平安な心の人は平安な世界に暮らしています。
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2017年12月14日
来年もまたこう在りたい
何事も恐れず、誠実な魂を持ち、ひたすら英知を追い求める。
いつでも人に手を差し伸べる用意をし、食い意地をはらない。
神を敬い、一人でこつこつと勉強することを愛する。
謙虚でまっすぐな心を持ち、万物を慈しみ、怒りにかられず、他の人たちがありがたがるものにも執着しない。
冷静で、思いやりがあり、人の過失を責めない。
苦しむ者たちにやさしくし、足ることを知り、欲望に振り回されない。
温和で控え目ながら威厳をもち、忍耐と不屈の精神と純粋さの入り混じった気高い人間性を備え、復讐心に燃えることもなく、決して自分を過大評価しない。
このような資質こそ、真理を愛する者がすぐそれとわかる特徴であると、「バガバット・ギータ」に語られています。
来年もまた、こうでなければなりません。否、いつもこうでなければなりません。
いつでも人に手を差し伸べる用意をし、食い意地をはらない。
神を敬い、一人でこつこつと勉強することを愛する。
謙虚でまっすぐな心を持ち、万物を慈しみ、怒りにかられず、他の人たちがありがたがるものにも執着しない。
冷静で、思いやりがあり、人の過失を責めない。
苦しむ者たちにやさしくし、足ることを知り、欲望に振り回されない。
温和で控え目ながら威厳をもち、忍耐と不屈の精神と純粋さの入り混じった気高い人間性を備え、復讐心に燃えることもなく、決して自分を過大評価しない。
このような資質こそ、真理を愛する者がすぐそれとわかる特徴であると、「バガバット・ギータ」に語られています。
来年もまた、こうでなければなりません。否、いつもこうでなければなりません。
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2017年12月13日
自分の置かれた環境に不平をこぼす人は、まだ一人前とはいえません
周囲の状況や環境、それらはそれ自体良くも悪くもありません。良し悪しを決めるのは、心の姿勢や態度です。
資金不足、時間不足、力不足、家族の絆による束縛など、さまざまな事情に妨げられなければ、偉大なことができる、と人は想像します。
しかし、実際には、それらによってはまったく邪魔されていません。
心の中で、それらが持っていない力をそれらに与え、それらにではなく、それらについての自分の見解に、すなわち自分の性格の弱い部分に屈服するのです。
そういう人に欠けているのは、正しい心の持ち方です。
環境を自分の資質を刺激するものとみなし、自分に対する「障害」が成功へとのぼりつめていくためのステップと考えられるようになれば、欠乏感が新たな発想を生み、「妨害物」が自分を助けてくれるものに変貌します。
心が健全で、適切に調整されていれば、環境に愚痴や不平をこぼしたりしません。
それらを乗り越えて成長するのです。
自分の置かれた環境に不平をこぼす人は、まだ一人前とはいえません。
資金不足、時間不足、力不足、家族の絆による束縛など、さまざまな事情に妨げられなければ、偉大なことができる、と人は想像します。
しかし、実際には、それらによってはまったく邪魔されていません。
心の中で、それらが持っていない力をそれらに与え、それらにではなく、それらについての自分の見解に、すなわち自分の性格の弱い部分に屈服するのです。
そういう人に欠けているのは、正しい心の持ち方です。
環境を自分の資質を刺激するものとみなし、自分に対する「障害」が成功へとのぼりつめていくためのステップと考えられるようになれば、欠乏感が新たな発想を生み、「妨害物」が自分を助けてくれるものに変貌します。
心が健全で、適切に調整されていれば、環境に愚痴や不平をこぼしたりしません。
それらを乗り越えて成長するのです。
自分の置かれた環境に不平をこぼす人は、まだ一人前とはいえません。
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