2015年02月17日

思い込みから離れる

世の中、「かくかく、しかじかあるべきだ」 という思い込みをたくさん持てば持つほど、不自由になります。

たとえば、「家族は私に優しくあるべきだ」 「上司は私の立場を理解しているはずだ」 「私は、当然感謝されるべきだ」等など。

思い込みが多いと、事実がそれにそぐわない時、苦しみ、悩みも多くなります。

「優しくしてくれることにこしたことはない」 「理解してくれたら、儲けもの」 「感謝されたら、ありがたい」くらいに考えておくと、心が自由になります。

それは結局、思い込みというのは、一見、自己主張が強いようで、実は、その実現において多分に、他人に依存する部分が多いからでしょう。

世の中は決して自分の思い通りになるものではありません。いつまでもそのことなり、人にこだわっているよりも、それから自分を解放することの方が、精神衛生上、どれほど良いかわかりません。

2015年02月16日

当たり前に感謝して生きる

かけがえのない一日を、不平や不満で埋めるのではなく、ありがたいものとして生きる時、そこには、ささやかな幸せが生まれてきます。

そのためには、自分の身の周りに既にある、「有り難いもの」に気づいて生きてゆくことが大切です。

日の出にも日の入りにも、中天にかかる月にも星にも、さえずる小鳥にも一本の草花にも、感謝して生きたいものです。

何十年に一度しか現われない彗星には大騒ぎしても、毎夜またたく星空には感激するどころか、いっこうに見上げようともしません。そんな心に私たちはいつしかなってしまっています。

「当たり前を感謝して見る」ということこそ、実はささやかな幸せの秘訣なのです。

2015年02月15日

有り難さ

物を多く持っているということが、必ずしも幸せの要素ではありません。

便利な生活についても同じことが言えます。

便利さ、安楽さも、お金や物と同じくよいものでしょうが、それらが、「当たり前」になってしまうと、ない時に、不平や不幸せの種となります。

自動ドア、エスカレーター、エレベーター等がそのよい例となります。ドアは手で開けるもの、階段は足で登り降りするものと思っていた時代には、考えもしなかった不満、愚痴が今や横行しています。

自分の手でドアを開けたくても開けられない人、階段の昇降がしたくてもできない人がいるというのに、その手足を自分がいただいていることの有り難さを忘れて、それらを使うことの面倒さを厭うのです。

ありがたいとは、有ることが難しいという気持ちなのだということを、時に思い出してみないといけません。

2015年02月14日

病気のお蔭で色々な気づきを与えられる

病まなければ捧げ得ない祈りがある

病まなければ信じ得ない奇跡がある

病まなければ聞き得ないみことばがある

病まなければ近づき得ない聖所がある

病まなければ仰ぎ得ない聖顔(みかお)がある

おお、病まなければ私は人間でさえもあり得ない

                                   (河野 進さんの詩)

2015年02月13日

幸せの素

物質主義のこの世界にあって、私たちはあまりにも、目に見えるものを追い求め、その多寡をもって幸せの尺度と考えてしまいがちです。

しかし、面倒なこと、嫌なこと、損としか思えないことの中にも、実は私たちの人生を飾る真珠をつくる尊い原料があり、人間生活を豊かにするささやかな幸せの素があることを私たちは忘れずに生きてゆかなければなりません。