2016年11月02日

無事これ名馬

「無事これ名馬」といいます。競馬では、どんな名馬も骨折してしまえば、その場で安楽死処分されます。これになぞらえ、ビジネスマン人生も「無事これ名馬」と称されます。同期の出世コースのトップを走ってきた人でも、病に倒れ、やむなく前線をしりぞくケースは決してまれではありません。

結果的に、健康に配慮し、ケガや大病をしないで働き抜いた人が人生コースも出世コースも登りつめていくことになります。

命をけずるような働き方は賢明ではありません。つねに少しの余裕をもって生きていくことを心がけましょう。「あくせく」よりは「ゆっくり」がいいのです。「じたばた」よりも「粛々と」です。このほうが効率が上がり、達成する目標も高くなります。

「無事」は禅によく登場する言葉で、一般の意味とは少し異なり、禅では、人のたくらみなどから離れて、自分本来に戻った状態、つまり、あるがままの自分である状態をいいます。人の思惑やたくらみにとらわれない真の自由を得た人、といってもいいでしょう。

2016年11月01日

心は万境に随って転ず

楽しい、悲しい、うれしい、苦しいというような思いは、煩悩があるからこそわいてくる感情です。

よく考えてみれば、楽しい、悲しい、うれしい、苦しいという感情にはなんら実体がありません。

心が喜怒哀楽を繰り返すのは、時にしたがい、縁にしたがって、心が動くだけのことです。実体と呼ぶべきものはありません。

そうであるなら、喜怒哀楽にこだわる必要はありません。だから無感動に生きなさい、ということではありません。喜びも悲しみも、心が縁を得たときだけのものです。すぐに無に帰すものであるから、喜ぶときには心から喜び、悲しいときには心の底から悲しむように、ということです。

愛も同じです。人を愛するときには、心のかぎりを尽くす。けれど、そこに執着をもってはいけません。

相手がどう思おうと、心変わりをしようと、仕方がありません。心が転じるときには転じるままに受け止めます。

できることは、つねに目の前のことをせいいっぱい感じ取り、せいいっぱい取り組むことだけなのです。

2016年10月31日

より好みしなければ悟りに達する

憎いとか愛しいという感情も、区別する思いがあるからこそ起こるものです。いっさいを区別することがなくなれば、どれが嫌い、どれが好きという思いがなくなります。

よい悪い、好き嫌いを区別しないことは、想像以上に難しいことです。

私たちは、あれこれ選びながら生きています。より好みをしないで生きることは、煩悩に惑わされることもなく現実をあるがまま、流れるままに受け止めて生きることに通じます。

悟りへの道は決してむずかしいものではありません。

ただ、取捨選択、あれはいい、これは嫌いというようなことではいけません。取捨選択さえしなければ悟りの道に達することは容易なことです。

2016年10月30日

悪い面ばかりに捕われてはいけません

自分が今いる環境に不満ばかり言うのではなく、そこにある楽しみや恵や感動を探す努力をする方が、しあわせに生きていけます。

なにごとも悪い面ばかりに捕われるのではなく、いい面を発見することで、自分の価値観を変えられ、イライラする気持ち、不満な思いがなくなっていきます。

2016年10月29日

人生を平穏に暮らしていくには・・・

すべて自分に対して必然的に与えられた事柄については、そこに好悪の感情を交えないで、素直にこれを受け入れるというところに、心の根本態度が確立します。これを「天命」として謹んでお受けする、ということが大切です。

また、わが身に降りかかってくる一切の出来事は、自分にとっては、ベストタイミングで、必然で、必要で、ベスト(最善)である、という「最善感」を持って生きてゆくことは人生を平穏に暮らしてゆくコツです。