2014年08月10日

持たない暮らし

「持たない暮らし」というのは、ただどんどんモノを捨てようということではありません。それとは逆で、できるだけモノは捨てたくない。そのために、長くつき合えるモノを選びましょう、ということです。

誰かを真似てみたり、流行ばかりを追いかけるのではなく、自分にとって心地良いモノを選んでいく。そういうモノに囲まれて暮らしていく。若い頃ならいざ知らず、熟年期にもなれば、そんな自分らしい暮らしを心がけたいものです。

古いモノでも安価なモノでも、自分が美しいと思っていればそれが一番です。

2014年08月09日

陰徳は耳鳴りのごとし

仏教では私たちの思うこと、言うこと、行うことのすべては業(ごう)という貯金通帳に蓄えられることになっています。

特に、人に知られずに行う良いことは、大きな利子がついて、その貯金が多くなり、その結果もたらされる幸せの程度も大きくなるといいます。

「陰徳は耳鳴りのごとし」とは、まさにそれを表す言葉で、「耳鳴り」とは自分だけがわかり、人にはわからないという意味です。

年をとってくると徳を積む、徳を失わないということが心の安定、幸せにどんなにか大事かは、いくら述べても述べすぎることはないくらいです。

もし、幸せになりたいなら、心が楽になりたいなら、今からでも遅くはありません。他人に親切にし、他人の心を傷つけないようにすること、それも誰にも自慢せずにやる、という生き方に切り替えてください。

2014年08月08日

節食の習慣を・・・

健康、長寿はこの世のいかなる宝にもまさり、何ものにもまして求められるべきものです。

どんなに多くの富を得たとしても、病気で苦しむようでは、いったいどこに幸せがあるでしょうか?

まことに、食における慎みは、神が嘉(よみ)したもう習慣であり、自然の友でもあり、また理性の賜物でもあります。言いかえれば、あらゆる美徳がこれを基礎としています。

それは、私たちの人生観に積極性を与え、すべての営為に活力をもたらす源泉にほかなりません。

実に、宇宙の法則が節食の習慣を支持しています。この習慣を守っていれば、いかなる人生の苦しみも軽減されます。

まことに、飲食をしかるべく慎む者は、鋭い五官、冴えた頭脳、丈夫な肉体、優れた記憶力、軽やかな身のこなし、これらすべてに恵まれ、また精神的には、地上的な重圧から解き放たれて、本来の自由さを存分に味わう境地に入ることができます。

すなわち、その生涯には、心と体の両面において、現世で得られる最大限の幸福が訪れます。

もしあなたが、健康で長生きし、しかもその間に病気ひとつせず、最後には平安のうちに静かに息をひきとる、といった幸福な生涯を願うなら、飲食を最小限の量にさだめ厳格に節食することです。

そうした生活では、血液が汚れることはなく、また胃から頭へのぼる悪気(あつき)もなく、心はつねに穏やかで、気分は妙なる悦びに満たされます。

また、死についても、病気ではなく安らかに生を終えることができる幸福な死を予感できます。

2014年08月07日

良いことも、悪いことも考えない。(不思善、不思悪)

「無門関」という善の著書に、「不思善、不思悪」という言葉が出てきます。
これは、六祖慧能(えのう)が善の本旨は、「不思善、不思悪。よいことも、悪いことも思わないことだ」と明上座に説いたものです。

「不思善、不思悪」と示されたこの教えは禅、いや仏教の根幹をなすものです。よいことを考え、悪いことは考えるなというのが常識的な教えですが、仏教ではよいことも、悪いことも考えるな、その何も考えないところに本当の心の働きがあるのだと教えます。

悪い過去は考えないようにしましょう。それには、よいことを考えないということから始めるのです。これはよいことだから考えてよいなどと思うと、嫌なことはさらに思い出されるのです。

よいことを期待しないと心は楽になります。

2014年08月06日

受け止め方を変えればいいのです

自分の苦痛も他者の苦痛も、それを減らすには、受けとめ方を変えればいいのです。

私たちは、外部の出来事を変えることはできません。

出来事は多数によって創造されており、集団的に創造されたものを個人が変更できるほど、私たちの意識は成長していません。

だから、内的な経験を変えるしかありません。これが、生きることの王道です。