2015年06月08日

批判し過ぎてはいけない

批判は発展を生むので、多少は必要です。しかし、批判のし過ぎは何も生みません。

他人に対しては、ある程度見て見ぬ振りをするという態度が必要です。
他人を厳しく批判する人には人が寄って来なくなります。

お釈迦さまも、「相手を傷つけるような言葉を発すれば、相手もこちらの心を傷つけるような言葉で言い返す。その結果、必ず悪いことが起こる」と言われています。

とくに人間関係ではあまり潔癖にならないことです。相手の欠点や言葉に鈍感であるということは非常に大事です。

2015年06月07日

病気が魂を完成に向かわせる

中年以後は誰でも、どこか五体満足ではなくなる。一見健康そうに見えても、糖尿だ、高血圧だ、緑内障だ、痛風だ、神経痛だという人はいくらでもいます。病気が治りにくくなることは悲しいことだが、誰の上にも一様に見舞う公平な運命です。

しかし、その時初めて私たちはわかるのです。歩けることは何と素晴らしいか。
自分で食べ、排泄できるというのは、何と偉大なことか。更にまだ頭がしっかりしていて多少哲学的なことも考えられるというのは、途方もない僥倖なのかもしれません。

こういうことは中年以前には決して考えないことでした。歩けて当たり前。走れる?それがどうした。オリンピック選手に比べれば、亀みたいにのろい。ほとんどの人に感謝はありません。

病気や体力の衰えは望ましいものではありませんが、突然病気に襲われて、自分の前に死に繋がるような壁が現れたとき、初めて人は肉体の消滅への道と引き換えに魂の完成に向かうのです。

2015年06月06日

私たちは希望のある中で生きている(内が変われば外が変わる)

人生を変えるのは大きなことではなく、小さなほんのちょっとのことを変えることで、状況は変わっていきます。何を変えるかは一人ひとり違います。ほんのちょっと変えるだけで、不思議と人生はまったく新しいものに変わっていきます。

内面が穏やかで平和なら、外の人間関係はみんなよくなっていきます。だから、自分の内面を整えて、自分のうちに秩序と穏やかな調和をもたらすことが大切です。

世界の平和とは、まず自分自身と仲良しになることです。自分自身を本当の意味で大切にし、自分と仲良しになり、自分の中に調和と平和をつくり出すようにします。そして、まわりの人に調和と平和をもって接するようにしていく。それ以外に世界の平和はありえません。

だから、私たちは自分が変わり得るということを理解すれば、自分が変わることでまわりが変わるという希望が湧いてきます。
自分が本当に一ミリでも変われば、相手は十ミリ変わっていきます。そのように、私たちは希望のある中で生きています。




















2015年06月05日

人はどんなに高齢になっても、いくらでも成長できる

充実した老後のためには、子供のような資質を持ち続けることが大事ですが、自由時間の楽しみは、年を取るにつれて、外の世界より内の世界に向かうべきでしょう。ただ若さを保つことが大事なのではありません。どれほど鍛えていても、年を取ると身体は徐々に衰えます。

しかし、精神の方は成長を続け、年を取るにつれて調子がよくなる場合もあります。年とともに知恵と知性を蓄えていけば、私たちはいくらでも成長し、充実した人生を送れます。

高齢になってくると、まず、引退という言葉が頭をよぎります。しかし、引退という言葉に自分を縛り付けてはなりません。引退を人生そのものからの引退と考えて、退職後に家で何もせずに過ごしている人には、実際に死が早く訪れます。

引退は生活の方向転換とみなすべきです。退職したら引退生活が始まるのではなく、自己実現が始められると考えましょう。高齢期には、外に向かっても内に向かっても、さらに高いレベルに昇れるのです。

2015年06月04日

よい種を蒔いておきましょう

私たちは日常生活の中で、いいものがあるとつい自分のものにしたくなります。それが満足感に繋がっていきます。しかし、あまり欲を出すと際限がありません。

人の幸せというのは、八分くらい満たされて、もうちょっとあれがあればいいな、もうちょっとお金があったらいいな、もうちょっとうちの子がこうなればいいな、というくらいがいちばん幸せだといわれます。

宇宙は循環しています。私たちの人間関係もみんな循環していきます。今すぐにではないかもしれません。子供の代になるかもしれません。

しかし、自分の投げかけたもの(自分の蒔いた種は)は、必ず循環して、どこかで実になって、また戻ってきます。すぐには実りを求めず、ちょっとエネルギーのあるときには、人に優しい言葉をかけたり、どの人の中にも良いことを見い出すような目を育てることです。