2014年09月29日

病気にも感謝

すべてのイヤなことは、なんでもかんでもが諸悪なことではなく、その人の現状の状態や状況から、良い方向に導くための、必要課題であり、通過必須項目であったりします。

だから、たとえば病気になったということは、悲しいことでも、悲観的になることでもなく(もちろん、その病気になってしまったことで、辛さや痛みがあったりするわけですが)、そもそもその病気にならなかったら、そのまま命をとられたかもしれないわけです。

だから、症状が出てくれたおかげで、治すきっかけを与えられたということは感謝すべきことです。

大病した人の中には、その後、本当に健康のありがたさがイヤというほどわかり、身体を大事にすることを覚えた人や、この命があることの素晴らしさを感動的に知った人が多いものです。




















2014年09月28日

あなたは「あなた」を生きればいい

この宇宙では、どういう思考・信念・概念なのかが大切なのではなくて、その考えが「あなた」が気に入るバイブレーションなのかどうかだけなのです。

この宇宙では、大勢の集合意識がどうであれ、各自がたった一人でもそう思うなら、自分が望んだ現実を体験し現実化できます。

そのように素直に自分が信じたら、自分の宇宙の中でのみ、そういう現象を創って観る(体験する)ことになるのです。

人の数だけ好みがあってよいのですから、あなたは「あなた」であってください。

あなたは、「あなた」を生きるために肉体をもらったのであって、他者の概念を生きているわけではありません。宇宙に同じものは不要だからです。

「正しい生き方」、「立派な生き方」、「素晴らしい生き方」、そんなことを追究するために生きているのではありません。

「あなた」が喜べるバイブレーションなのかどうかです。

あなたは「あなたの地球と宇宙」を創ってください。

正しき考えを追究する他人(社会)から教え込まれた生き方から、フィーリングやバイブレーションを大切に追究する生き方へチェンジしてみてください。

2014年09月27日

本当に悟った人、本当の聖人

悟った人、聖人は、ただ自分が自分であることを楽しみ、祝い、遊べています。

他に証明する必要性が全くないからです。

「至福である」とあえてアピールすることもありません。

本当に悟った人、聖人は、頭の後ろに「後光」や「霊光」を欲しがったりもしません。そういったもので 「私は崇高だ」
とは表現しません。そんなものは一切必要がありません。
素晴らしい聖人になろうと思っていないからです。

真の聖人は、何でもない存在です。だから逆に目立たないことさえあり、目立とうとする踏ん張りもありません。

威厳も威光も周囲に対して感じさせたりはしません。神々しささえもありません。それらは単なる虚栄だからです。

本当に悟った人、聖人は意外にも民衆の中に紛れ込んでひっそりと存在しているのです。

ほとんど介入、干渉はしません。助けたり癒したりほとんどしないでしょう、なぜなら人それぞれの課題は、その本人が解決するべき課題で、他が代わりにやってしまうと、その人の為にならない、カルマの解消にならないと知っているからです。

だから、イエスも釈迦も、だれ彼かまわずすべての人々を癒したりはしませんでした。

2014年09月26日

悦びと感謝は人を健康にする

喜びの感情は人間を健康にする力があります。

だから、常に喜び、常に希望に輝き、常に感謝している人は病気にかかるものではありません。

病気にかかるのは、ちょっとしたことで腹を立てたり、不平に思ったり、口惜しがったりしたあとで、その心の現われとして病気になるのです。

腹立ちを「ゆるし」に替え、不平を感謝にかえ、口惜しさや悲しみを、「これがあるので私の魂が高まるのだ」と感謝と喜びに替えるようにすると、病気が治るのです。

2014年09月25日

ただ楽しいことを続けていくと「成果」と「結果」ができていく

私たちの心の奥底には「何も成し遂げない自分が楽しんだり喜んではいけない」という洗脳データが強烈に入力されています。

すると、なんらかの成果や結果を形のうえで自分に出さないうちは、楽しんだり喜んではいけないという思いにかられます。

しかしこれは逆です。楽しんで喜んで、前祝いの気持ちで、ただ遊び(ワクワク)をエンジョイしていると、勝手に楽しい形が外側にできていくのです。

これが本当の「成果」です。これが具現化です。これが願望成就です。

あなたが何の条件もなく、ただ楽しいこと、ワクワクすることを自分にさせてあげた分だけ、楽しい「成果」と「結果」ができていくのです。