2015年02月22日

弱さがプラスに・・・

人間はしばしば健康からではなく病気から考え深くなり、順境からではなく逆境にあって耐える力をつけ、褒められることからではなくけなされることから自分を発見することがあることは、ほとんどの人が恐らく体験済みのことでしょう。

そういう訳で病人、不運な人、才能がないと思い込んでいる人々も、社会にとっては貴重な財産なのです。

そして極く自然に、自分に与えられている状況がどんなものであるか正視し、そこに意味をみつけることができれば、この世に失敗した人生などということはなく、どの人も各々の才能を生かし、社会でなくてはならない人となります。

そこで初めて、すべての人々が、競争の対象や敵対者になることなく、あらゆる人々の存在を評価し、感謝し喜ぶことができるようになるでしょう。

2015年02月21日

心のできたところまで片付けができる

なかなか物を捨てることができない方がいらっしゃいます。このような方たちは過去をひきずって生活をしておられる方たちです。

私たちは心のできたところまでの片付けをすることができるようです。この時に、頭の中もすっきりと片づき、難しく物事をとらえていくことがなくなっていくのです。

家の中(部屋)は、そこにいる人の内面を如実に表しています。心に余裕がないと部屋の中もなかなか片づけられず、どんどん汚れてくるものです。

世間の動きにただ振り回されて生きるのではなくて、自分らしく余裕が持てるように工夫をしながら心に余裕をもって穏かに暮らしたいものですね。

2015年02月20日

既にあなたは幸福です

どうしたら良くなるだろうかとなどと思い煩(わずら)ってはいけません。

既にあなたは良いのです。

どうしたら幸せになるのだろうかと思い煩ってはいけません。

既にあなたは幸せです。

あなたは歩くことができるでしょう、手を動かすことができるでしょう、目が見えるでしょう、耳が聞こえるでしょう、口から食べれるでしょう、自分で息ができるでしょう。

これらは何ものにも代え難い幸せなことです。

今いただいているたくさんの幸せを数えて感謝しましょう。

2015年02月19日

永遠とは・人生とは?・・・実のところ、人生に目的はありません

宇宙では現象は今までもずっと起こり続けてきたし、これからも起きつづけていきます。それは決してやむことのない、大いなる命の現れです。

それは永遠です。

永遠というのは、「永遠に続く」とういう意味ではありません。「続く」という言葉は、すでに時間に囚われています。「永遠に続く」と言うと、ものすごく長い時間を想像しますが、「永遠」は時間の中には存在しません。

というより、実際には時間が存在しないのであって、常にいま、永遠だけが存在しています。

永遠ということはどういうことでしょう。

永遠であるということは目的がないということです。目的とは一時的なもののためにあります。永遠において、目的など意味をなしません。成就しなければいけないことが何一つない、それが「永遠」です。

そして私たちの存在も、肉体は死にますが、魂は永遠です。私たちは、時間を超えて「いまここ」にありつづける永遠の存在であり、大いなる命そのものです。

永遠であるがゆえに、私たちの存在にも目的などないのです。

私たちはどこにも向かっていません。常に「いま」の中で、様々な形で表現されているだけです。

しかし私たちの自我(エゴ)は、目的を必要とします。

どこかに向かっている、いまよりも素晴らしい何かになろうとしているという感覚が、自我の栄養となっています。そしてそこに深刻さが生まれます。どこかに向かっているとしたら、その道を外れないようにしなければならないからです。

何かを達成しなくてはいけない。

何かを手に入れなければいけない。

立派な人にならなければいけない。

目的志向の自我・・・これこそが私たちを緊張させ、悩み苦しみを作り出している原因です。

ひとたび、自分の存在には目的などなく、どこにも向かっていないと理解できれば、「いまここ」を楽しむことしか残っていません。

人生は生きなければならない義務ではなく、与えられた遊びの場になります。遊びには目的はありません。遊ぶというそのこと自体がすでに結果なのです。

そういう訳で、私たちの存在は、まさに遊戯そのものなのです。それを「リーラ」といいます。

この感覚をひとたび理解すれば、人生感は根底から覆ります。

私たちはどこにも向かっていません。最初からゴールにたどり着いているのです。だから安心して下さい。さあ、大きく息を吸って、いまここを生きましょう。

それでいいのです。それだけのことです。「いまここ」にくつろいでいましょう。

2015年02月18日

少欲と知足

この世の中を「苦の娑婆」だと言います。

一体、苦しむということはどこから来るのでしょうか?

全部欲からです。だから、世の中のことをまた 「欲の娑婆」とも言います。

法華経の中に「諸々の苦の原因は大欲をもって本となす」とあります。この大欲が常に私たちを禍(わざわ)いするのです。

お釈迦さまは欲を戒められました。欲にもいろいろありますが、まだもらわないうちの欲を戒めたのが少欲です。もらってからの欲を戒めたのが知足です。

少欲と知足とは人間の欲全体を戒めた掟(おきて)です。

道元禅師は五欲を追求しないのが少欲であると仰いました。

五欲とは、財欲、色欲、食欲、名聞欲、睡眠欲の五つです。

いつも少欲と知足を心において生活しましょう。