2015年02月19日

永遠とは・人生とは?・・・実のところ、人生に目的はありません

宇宙では現象は今までもずっと起こり続けてきたし、これからも起きつづけていきます。それは決してやむことのない、大いなる命の現れです。

それは永遠です。

永遠というのは、「永遠に続く」とういう意味ではありません。「続く」という言葉は、すでに時間に囚われています。「永遠に続く」と言うと、ものすごく長い時間を想像しますが、「永遠」は時間の中には存在しません。

というより、実際には時間が存在しないのであって、常にいま、永遠だけが存在しています。

永遠ということはどういうことでしょう。

永遠であるということは目的がないということです。目的とは一時的なもののためにあります。永遠において、目的など意味をなしません。成就しなければいけないことが何一つない、それが「永遠」です。

そして私たちの存在も、肉体は死にますが、魂は永遠です。私たちは、時間を超えて「いまここ」にありつづける永遠の存在であり、大いなる命そのものです。

永遠であるがゆえに、私たちの存在にも目的などないのです。

私たちはどこにも向かっていません。常に「いま」の中で、様々な形で表現されているだけです。

しかし私たちの自我(エゴ)は、目的を必要とします。

どこかに向かっている、いまよりも素晴らしい何かになろうとしているという感覚が、自我の栄養となっています。そしてそこに深刻さが生まれます。どこかに向かっているとしたら、その道を外れないようにしなければならないからです。

何かを達成しなくてはいけない。

何かを手に入れなければいけない。

立派な人にならなければいけない。

目的志向の自我・・・これこそが私たちを緊張させ、悩み苦しみを作り出している原因です。

ひとたび、自分の存在には目的などなく、どこにも向かっていないと理解できれば、「いまここ」を楽しむことしか残っていません。

人生は生きなければならない義務ではなく、与えられた遊びの場になります。遊びには目的はありません。遊ぶというそのこと自体がすでに結果なのです。

そういう訳で、私たちの存在は、まさに遊戯そのものなのです。それを「リーラ」といいます。

この感覚をひとたび理解すれば、人生感は根底から覆ります。

私たちはどこにも向かっていません。最初からゴールにたどり着いているのです。だから安心して下さい。さあ、大きく息を吸って、いまここを生きましょう。

それでいいのです。それだけのことです。「いまここ」にくつろいでいましょう。

2015年02月18日

少欲と知足

この世の中を「苦の娑婆」だと言います。

一体、苦しむということはどこから来るのでしょうか?

全部欲からです。だから、世の中のことをまた 「欲の娑婆」とも言います。

法華経の中に「諸々の苦の原因は大欲をもって本となす」とあります。この大欲が常に私たちを禍(わざわ)いするのです。

お釈迦さまは欲を戒められました。欲にもいろいろありますが、まだもらわないうちの欲を戒めたのが少欲です。もらってからの欲を戒めたのが知足です。

少欲と知足とは人間の欲全体を戒めた掟(おきて)です。

道元禅師は五欲を追求しないのが少欲であると仰いました。

五欲とは、財欲、色欲、食欲、名聞欲、睡眠欲の五つです。

いつも少欲と知足を心において生活しましょう。

2015年02月17日

思い込みから離れる

世の中、「かくかく、しかじかあるべきだ」 という思い込みをたくさん持てば持つほど、不自由になります。

たとえば、「家族は私に優しくあるべきだ」 「上司は私の立場を理解しているはずだ」 「私は、当然感謝されるべきだ」等など。

思い込みが多いと、事実がそれにそぐわない時、苦しみ、悩みも多くなります。

「優しくしてくれることにこしたことはない」 「理解してくれたら、儲けもの」 「感謝されたら、ありがたい」くらいに考えておくと、心が自由になります。

それは結局、思い込みというのは、一見、自己主張が強いようで、実は、その実現において多分に、他人に依存する部分が多いからでしょう。

世の中は決して自分の思い通りになるものではありません。いつまでもそのことなり、人にこだわっているよりも、それから自分を解放することの方が、精神衛生上、どれほど良いかわかりません。

2015年02月16日

当たり前に感謝して生きる

かけがえのない一日を、不平や不満で埋めるのではなく、ありがたいものとして生きる時、そこには、ささやかな幸せが生まれてきます。

そのためには、自分の身の周りに既にある、「有り難いもの」に気づいて生きてゆくことが大切です。

日の出にも日の入りにも、中天にかかる月にも星にも、さえずる小鳥にも一本の草花にも、感謝して生きたいものです。

何十年に一度しか現われない彗星には大騒ぎしても、毎夜またたく星空には感激するどころか、いっこうに見上げようともしません。そんな心に私たちはいつしかなってしまっています。

「当たり前を感謝して見る」ということこそ、実はささやかな幸せの秘訣なのです。

2015年02月15日

有り難さ

物を多く持っているということが、必ずしも幸せの要素ではありません。

便利な生活についても同じことが言えます。

便利さ、安楽さも、お金や物と同じくよいものでしょうが、それらが、「当たり前」になってしまうと、ない時に、不平や不幸せの種となります。

自動ドア、エスカレーター、エレベーター等がそのよい例となります。ドアは手で開けるもの、階段は足で登り降りするものと思っていた時代には、考えもしなかった不満、愚痴が今や横行しています。

自分の手でドアを開けたくても開けられない人、階段の昇降がしたくてもできない人がいるというのに、その手足を自分がいただいていることの有り難さを忘れて、それらを使うことの面倒さを厭うのです。

ありがたいとは、有ることが難しいという気持ちなのだということを、時に思い出してみないといけません。