2015年04月01日

丸ごと受け入れてしまえばいい

私たちは、小学校、中学校の教育で、「思いを持って、努力をして、頑張って、必死になって、今ないものを手にいれなさい」「自分の思い通りにすることが幸せである」と教えられ洗脳されてきました。

しかし、「受け入れること」。思いを持たないで、目の前に起こったことに対して「そうきましたか」と抵抗することなく、嫌がることなく受け入れてしまう方がラクに生きられます。

「この人をこうしたい」とか「この状況から抜け出したい」とか「もっと実績を上げたい」と思うから苦しいのであって、丸ごと受け入れてしまえばいいのです。

そうすれば、思いと現実とのギャップが生じることなく、ストレスも悩みも不満もなくなって、本当にラクに生きられるでしょう。

2015年03月31日

幸せは見つけ出すもの

いまの人たちは、幸福というと、人がうらやむほどの立身出世や必要以上の財産、人に真似できないような才能がなければいけないと思っています。それを求めて苦労し、求めきれないからみんな悩んでしまいます。

しかし、幸福というものを、そう大げさに考えることはありません。
「今日はよく眠れた」「気持ちがいい朝が迎えられた」「また朝ごはんがおいしくいただける」「またいつもの皆の顔と会える」・・・毎日のこんな、ささやかなうれしさに出会えれば、充分に幸せなはずなんです。そういうひとつひとつをありがたいと思うことが大切なんです。

考え方をちょっと見つめ直すと、とても幸せになるものです。
幸せはもらうものではなく見つけ出すものです。

2015年03月30日

人生は思い通りにならないものと思い定める

何か問題が起ってる時に、努力による解決方法しか知らない人は、「幸せを感じにくい」かもしれません。なぜなら、人間の欲求には際限がないからです。

人の十倍、二十倍の努力による解決方法では実現できないことも多く、ストレスがたまってしまいます。

学校でも社会に出てからも、こういう解決方法しか知らないため、苦しみ続けてしまい、なかには病気になってしまう人もいます。

世の中は、人生は、「そもそも思い通りにならないものである、と思い定める」「思い通りにならない・・・と諦める」という解決方法もあります。

「諦める」というのは、言葉の語源でいうと「宇宙の法則を自分の中であきらしめる(明らかにする)」ことです。
「宇宙がそういうふうになっているから、しょうがない」と理解することであり、「諦観(ていかん)」とは「諦めの観察」=「悟り」のことをいいます。

要するに、何でも思い通りにしようとして、ストレスを溜め込まないで、受け入れて流れに任せてみると苦労しなくて済むということです。

2015年03月29日

原因を外にではなく内に求める

自分の環境を呪っている限り、人は決して幸福になることはできません。

「幸福とは、自分自身の努力で望みが叶うことであり、望みを達成するプロセスが他人や社会との調和を欠いていないこと」と、日本公園の父といわれた本多静六が言っていました。つまり、環境を呪った段階で既に幸福から遠ざかっている、ということになるでしょうか。

何か失敗があった時、それを外部のせいにしては決して成功や幸せを望むことはできません。失敗の原因を、環境や他人に帰着させることなく、すべて自分のせいだと考える内部要因思考で生きなければなりません。

こうしたスタンスでいると、失敗をしても、「失敗から学ぶ」ということができます。失敗を外に向ける外部要因思考では、失敗から学ぶことはできません。

2015年03月28日

継続の大切さ


一つのことを続けられない人は他のことも続けられません。何かを継続する。これは人生で成功を収めるうえで大切な訓練です。

何か一つのことを、バカになって継続できない人は、結局何をやっても成功できません。

もちろん世の中には継続しなくっても、一発のまぐれで成功する人がいます。でも、自分が一発で成功できたことは、他の人も一発で成功する可能性があります。すぐに真似する人があらわれるかもしれません。

でも、継続しなければ成功できないことは、他の人が真似をしようとしても、簡単にはできません。だから、継続がものをいいます。継続なくして、真の成功はありえません。

自分に合っていて継続できるものがある場合には倦まずたゆまず続けていくと自分の人生の支えになったり生き甲斐になったりして人生をより豊かに導いてくれます。