2015年04月17日

よく整えられた自分を創ることが大切

お釈迦さまは、法句経の中で、「よく整えられた自分こそ、世界のどんな王様よりも尊い王様である」と仰っております。

「よく整えられた自分」になることが何よりも大事であり、必要です。どんな時にも、明るい、愉快な、楽しく満ち足りていて、失望せず、落胆しないように、心の舵をとり、明るく楽しい、平和な、希望に満ちた言葉を使うことが必要(肝心)なのです。

「よく整えられた自分」こそ、どんな都合の悪い境遇でも、よく乗り切って、美しい楽しい穏かな希望の国へ連れていってくれるのです。

何よりも先ず、「よく整えられた自分」をつくることが肝要です。

それには、「思い」の力、「言葉」の力を上手に使うことが大切です。なぜなら、「思い」や「言葉」が私たちの人生を創っているからです。

2015年04月16日

置かれた場所で幸福でいる

汝は幸福である、この小さき石よ

道ばたに静かに横たわりて

哲人の如くにものを考う。

という詩があります。私たちは小さき石よりも偉大なるものです。この小さき石ころは、どうして幸福なのでしょうか?

それはそのままそこに与えられた生命を愉しんでいるからです。そのままうけて愉しむものは常に幸福なのです。

そのままそこに横たわるということは、何もしないで生活しているということではありません。
与えられるそのままに横たわり、神催しのままに動くという意味です。

つまり、今いる環境、置かれた立場を受け入れ、他と比べたり、過去の自分と比べたりしないで流れに任せて自分のはからいがないのです。何とも比較しないので苦悩や悲しみが生じません。

自分の今与えられた位置をたのしんで(受け入れて)、そのままそこに全能力を発揮する時、私たちは幸福になれるのです。

特定の日、特定の時間、特定の境遇によって幸福が来るのではありません。

境遇を支配する力は私たち自身の内にあるのです。

2015年04月15日

ほんとうの幸せ

すべてのものが感謝の対象であるにもかかわらず、「当たり前」になりすぎて、感謝を忘れ、私たちは、幸せを感じなくなっています。

幸せというのは、今、自分が置かれている日常そのものです。

何も起きないことがどれほど幸せであるか、ということに、私たちはなかなか気がつきません。

毎日が、ただ淡々と平凡に過ぎていくことが、実は幸せの本質なのです。

幸せというのは、何か特別なことが起きることではありません。何も起きないことが幸せの絶対的な本質です。

幸せとは、いいことが起きるとか、楽しいことが起きるのではなくて、自分にとって、いわゆる面倒なこと、大変なこと、汗をかかなくてはいけないこと、神経を使わなくてはいけないことが、何も起きないことです。それこそが真の幸せであり、奇跡なのです。

2015年04月14日

想像だけで「不安」にならないこと

「もしもOOだったら」とあれこれ考えるのは人間だけです。
もちろんそれは、将来を予測して準備をするという意味では必要な力です。
けれど、妄想にしばられて行動が抑制されてしまうのでは、話が逆です。

人間ですから、妄想をやめることはできません。でも、「これは妄想なのだ」と意識することはできます。
自分が抱えている悩みも心配事も、まだ現実に起こっていないことは全部妄想です。

ですからいくらでも、未来を変えることはできるのです。
悩み、不安、心配、恐怖・・・「全部妄想なのだ」と自覚するだけで、気持ちがぐんと軽くなります。

2015年04月13日

与える生活を心がける

人に対する感情や行いは、良くも悪くも、めぐりめぐって自分に跳ね返ってくるものです。「人を呪わば穴二つ」という格言がまさに潜在意識の働きをよくあわわしていて、人を恨んだり妬んだりしていると、自分の運命も悪くなっていくということがあります。

反対に、他人の幸せを願い、人に喜びを与えていると、それがやがて恩恵となって自分のもとに返ってくるいうことです。

そうした人に与える生活をしていると、心がどんどんポジティブになって、毎日が楽しくイキイキとしてきます。自分の表情や性格や行動が明るくなれば、誰に対しても好意的に接することができるようになりますから、その分、人からも好意をもたれやすくなり、ラッキーなチャンスに出会う確率も高くなります。

与えて、与えて、どんどん与えてください。しかし、決して見返りを期待してはいけません。