2016年03月23日

すべては肯定的に方向づけできます

どんな時にでも、どんな状況でも、必ず理由があるんだということを理解できれば、そして今自分の目の前で起きていることの理由を、自分で否定しなければ、すべての状況は、自分が学ぶための肯定的な状況になります。

それがわかると、どんな状況も自分にとって、痛みを伴った状況にはなりません。

自分の中で見つかったものも、すべて肯定的に方向付けすることができるんだということがわかったとき、何も怖くなくなります。恐れることがなくなったとわかったとき、すべてが喜びに満ちた状況になります。

困ったことや不幸なこと、問題と思っていることは、すべて自分がそう解釈しているだけです。

2016年03月22日

判断を放棄しましょう

よい悪い、旨い不味い、美しい醜い、大きい小さい、高い安い、強い弱い、 等々、人は何でも価値をつけ、判断を下したがります。

しかし、それはあまり正しい道ではありません。

なぜなら、価値をつけられないものに価値をつけ、勝手に計っているからです。

だから、その価値にもとづいた判断も正しいものではありません。

しかも、その価値と判断こそが人に苦しみをもたらすのです。

もう苦しみたくないのなら、価値づけをやめ、判断を下すのを棄てましょう。

そして、そのような濁りのない澄みきった世界に後半生は生きましょう。

毎日を穏かに安らかに過ごすために。

2016年03月21日

苦痛は何故現れるか

人は苦痛を敵と見なします。けれども、決して苦痛は敵ではありません。苦痛は自己の生命が当たり前の道を歩まないで正道を踏みはずして間違った道を歩んでいることを知らせてくれる信号です。

それは私たちの忠実な信号手であり、自分が人たるの道を再び歩むように警告してくれる天の使いです。私たちが正道(神)を忘れて、自分の勝手次第のことをやっているときに再び自己を反省させて正道(神)の方へ心を振り向けさせてくれるのが苦痛なのです。

無常のものを常住のものと思い、朽ち果つべきものを永遠のものと思い、ただの幻に過ぎないものを実在だと思って、それらに執着していた心を一変させ、無常を無常とし、幻を幻とし、朽ち果つべきものを朽ち果つべきものと悟らせて、本当に常住なもの、金剛不壊(こんごうふえ)なものに心を振り向けさせてくれるのが苦痛なのです。

2016年03月20日

目の前の障害は固定観念を指摘するシグナルです

それが嬉しいことであれ、悲しいことであれ、私たちは何かを目の前にしたとき、前後関係が断たれた「限られた事物・区切られた時間の中」に意味や価値を見い出そうとしてしまいます。が、本当は、そこには意味も価値もありません。ただ単に、そうだったのです。

これは、逆に言うと、このように言うこともできます。

現実に対してどのような意味や価値を付与するかは、すべて自己責任であり、また、そこには第三者が決して踏み込むことができない絶対的な自由がある、と。

精神世界では「世界は、自分の心の投影である」とか「世界は、すべて自分の思いどおりに形づくられる」などと語られますが、気づいてしまえば、それはとてもシンプルで明快な事実です。

なぜなら、あらゆる意味や価値は、対象にではなく、私たちのとらえ方にあるのですから。
とにもかくにも、自分の人生経験や生活習慣の中で身につけた固定観念(あらゆる決めつけ)は、想像以上に自分自身の自由を奪う足かせとなっています。

もしいま、あなたの目の前に障害があるならば、それはあなたの固定観念を指摘してくれるシグナルなのかもしれません。

2016年03月19日

人生とはプロセスが目的です

あなたの人生には、特別に決まった使命や役目、目的があるわけではありません。

人生には特別な目的はないのです。

人生のすべてが目的です。すべてが大切で、すべてが価値あることです。すべて平等に価値があります。

生きることに特別な目的がないように、個々の人間にも特別な目的はなく、ただ自由な各自の選択があるだけです。

もし何か絶対的な目的があったなら、それはあなたがそのように決めただけのことです。

絶対的な目的があるということは、必ずそれに縛られるということであり不自由です。

「こうであるべきだ」というような絶対的な目標は必ず他者からの洗脳です。

何かを「こうであるべきだ」と決めたら、必ず失敗の可能性もあり、苦しみも生まれます。

あなたが目標や欲求を決めても、それに縛られないでください。縛られるのではなく、すべての欲求を楽しみ、目的に向かうプロセスを楽しみ、すべての瞬間を愉しんでください。

途中で遭遇するすべてに感謝し、それらを大切にしてください。

人生とはプロセスが目的なのです。