2017年12月10日

問題を創っているのは自分の心

何か問題が起きたとき、いちいち苦労して問題を解決しようとしなくても、自分の視点を変えることで、問題そのものが消えてしまいます。

問題というものは、起きている出来事そのものではありません。

その出来事に対する解釈に不快感がともなう時に、その出来事が問題として見えてくるのです。

もしそこに不快感がなければ、その出来事は問題として認識されません。

たとえば、子供が勉強しないのが問題だという時、その親は子供が勉強しないことに、心配やいら立ちや不快感を持っているわけです。でも同じように勉強しない子の親でも、そのことに心配やいら立ちを感じなければ、勉強しないことは問題には見えません。

起きている現実は中立で、良いも悪いもないのですが、それを受け取る側の見方によって、問題にもなり、単なる事実にもなるのです。

もしあなたが問題を抱えているとしたら、それは自分の心が問題として映し出しているということです。その出来事に対して、不快感を持っているから問題に見えているのです。

それでは「不快感」というのは何なのかというと、それは、その出来事に対するあなたの立場です。あなたがその出来事に対して、被害者の立場を取っている時です。自分が被害者だと思うと、そこに不快感が生まれます。

問題を作り出しているのは自分の心です。

起きている出来事は中立であり、いいも悪いもありません。

ただ起きることが、起きています。いままでもそうだったし、これからもそうです。

それにもかかわらず、私たちは立場や見方によって、独自に判断し、解釈し、こういう問題が起きていますという物語を作っているわけです。そしてそれをつなげて、人生と呼んでいるのです。

2017年12月09日

すべて「いま、ここ」にある・・・はい一件落着!

「幸せになるために〜〜しよう」とか、

「悪いことが起きないように、〜〜をすべきだ」とか。

それはすべて、未来志向(結果志向)。

未来なんて、どこにもありません。

いつも、「いま」があるだけです。

未来志向になると、「失敗しないように」と深刻になってしまいます。

みんな、あまりにも生真面目で深刻なのは、未来志向だからなんです。

実際の話、「いまここ」には何ひとつ問題はなく、すでに私たちはすべてを得ていて、これ以上、何もいらないんですよ。

はい、一件落着。

2017年12月08日

この世で現実を創る最強のものは?

ばかげた「恐れ」にかまうよりも、「今」、実体験したいことにフォーカスしましょう。

実は、私たちの肉体は、相当に疲れないようにできています。普通に仕事をこなすことや、多少のオーバーワークでもそう疲れません(遊んでいるときの肉体を思い起こしてください)

では、なぜ疲れるのでしょうか?なぜ、こんなにもストレスがかかりすぎるのでしょうか?

それは、「思考」を「かまいすぎる」ことによるのです。考えに執着しすぎて、脳の回路のエネルギー消費がものすごいことになっているからです。

本来、思考はいじくりまわす必要がないのです。重要かつ必要な宇宙の思考は、頭をひねらなくてもあなたの心が静寂なときに勝手に来ます。あなたが握りしめてしまう頭の思考は、単なる「思い込み」の繰り返しですから、万能でもないし、完全ではありません。

だから、宇宙の思考(直感)にゆだね、頭は降参し、ギブアップしてください。

考えたところで、結果は同じ。あなたが意図したことしか起こってきません。

意思、意図、決意、それしか必要がありません。あとは「降参」してください。

さて、ここで、表題の「この世で現実を創る最強のものは?」

の答えですが、それは、「あなたの決意」です。あなたが創造主だからです。

2017年12月07日

見極める・・・

かつてと同じような苦しみに遭っているのでしょうか。

昔と同じ悲しみの涙を流しているのでしょうか。

以前と同じ胸の痛みを抱えているのでしょうか。

そのような苦しみと悲痛の輪廻から脱したいと思うのなら、自分に起こる事柄をよく見極め、知りつくさねばなりません。

底の底まで見極めれば、そこにある一切は自分の執着の心でしかないと気づくでしょう。

それがわかれば、もはや同じ苦しみと悲しみを繰り返すことはありません。

執着を棄てましょう。

2017年12月06日

ただ、そうあるだけです

「あの人に叱られた」「あの人に嫌われた」「あの人にハメられた」「あの人にフラれた」それは本当に事実なのですか?

実は、それはあなただけの定義づけであり、あなただけの個人的な世界、個人的な宇宙の中だけの話なのです。

すべての出来事、すべての体験、すべてのもの、すべての現実は・・・・。

ただ、そうあるだけです。

宇宙の本質、万物の本質は中立なる愛なのです。

だから、あなた独自の定義で意味づけしてもいい自由があります。

他の人も、他の人独自の定義で意味づけしていい自由があります。