2018年04月12日

行動する・・・

感動は誰でもできます。感動しても行動しなかったら、ただ知っただけ。

感動を行動に変えましょう。

五十、六十になって「もう人生は決まってしまった。こんなものだ」と自分の人生に見切りをつけているあなた、こんなもののまま死んでいいのですか?

せっかく、もらった命なのだからやりたいことをやって「これでよかった」と笑って死ぬ方がいいですよ。

これからでも、自分次第で、人生はどうにでもなります。

人生は、決断です、選択です。行動です。

決めるのは、いつもあなたです。

2018年04月11日

きれいな暮らしが心を整える

外で会っている時はわからなくても、家の中を見るとその人がわかります。

家はその人の生き方を表します。

部屋のゴミは心のゴミを表します。

年寄りだから、ひとり暮らしだから、汚いのではなく、生活は若いときからの習慣です。

年齢のせいにしてはいけません。

年寄りでもこぎれいに暮らしている人はたくさんいます。

つまり問題は、その人が人生を楽しんでいるかどうかなのです。

テレビで片付けられない人の特集をよくやっています。片付けられない人は、心に問題を持っている場合が多いのです。つまり、家の中のゴミは、心のゴミを表しているのです。

明るく、毎日を楽しんでいる人たちはみんなこぎれいで、すがすがしい人が多いようです。

2018年04月10日

笑顔で生きるか愚痴を言って生きるか・・・

「人生で理不尽な出来事が起るのは当たり前のこと」と現実を受け入れて、その状況に押し潰されることなく、逆に晴れやかに、にこにこ暮らしていく。

大切なのはそのことです。

私たちは問題にぶつかった時、生きる姿勢を自分で選び取ることができます。

愚痴を口にせず苦しみを心の中で転がしながら笑顔で歩いていく生き方も選べます。

反対に愚痴ばかり言って坂道を下降していくことも一つの選択肢です。

どんな時でも愚痴を言わない、いつも笑顔で生きていく。

そう決意さえすれば、後ろから大きな温かい手で支えてくださる方はいらっしゃるものです。

2018年04月09日

最後の最期まで前向きに・・・

「浜までは海女も蓑(みの)着る時雨(しぐれ)かな」

これを詠んだのは江戸時代の俳人、滝瓢水です。

これから海に潜(もぐ)る海女が、雨を避けるために蓑を着て浜に向かう。

どうせ海に入れば濡れてしまうのに、なぜ蓑を着る必要があるのでしょうか。

浜までは濡れずに行きたい、というのが海女の気持ちなのです。

つまり人間は、少しでも自分を愛(いと)おしみ、最後まで努力を重ねていかなければならないのです。

この句の「浜」を「死}と捉えれば、一層味わいが深まります。

どうせ仕事を辞めたんだから、どうせ老い先短いんだから、と投げやりになるのが年寄りの一番よくないところです。

死ぬ時までは、とにかく蓑を着る。日が照り付ければ日傘を差す。

そうして最後の最期まで前向きに、少しでも美しく立派に生きる努力を重ねていくべきではないでしょうか。

2018年04月08日

いくつになっても変化し、成長する

真に道を求める人、一流の人達はいくつになっても変化し、成長しています。

四十、五十で人生がわかったように言う人は、すでに心がマンネリになっているのかもしれません。

自己自身を修め成長させることは一朝一夕にはできません。

静々と人知れずやるといいでしょう。

それを三十年、四十年、五十年と続けていくと、風格というものができてきます。命ある限り変化成長していくことこそ、すべての人の課題でしょう。

お釈迦さまの最期の言葉はこうです。

「すべてのものは移りゆく、怠らず努めよ」