2016年03月09日

そうであるように行動する(そういう存在の波動で居る)

幸せになりたいなら、裕福になりたいなら、愛されたいなら、既に幸せなように、既に裕福であるように、既に愛されているように行動すれば、そうなれます。

これは、「そのふりをする」、に近いことですが、何でも行動は真剣でなければなりません。

これは、私たちが勘違いしている、所有・・行為・・存在というパラダイムを、存在・・行為・・所有という宇宙の正しいパラダイムを正しく使って、宇宙の創造的な力を働かせることです。

この原則を要約すると、こうなります。つまり、「人生で、しなければならないことは何もない。問題は、「何であるか、どんな存在であるか」ということだけです。

2016年03月08日

どんな人と道連れになるか

低い意識にとりまかれているときは、自分の考えを大事にしたほうが身のためです。

高い意識にとりまかれているときには、まわりに屈服したほうが身のためです。

だから、高い意識を持った人を捜し求めるほうが賢いのです。
どんな人と道連れになるかということが、大切です。

真面目な人、誠実な人、優しい人、心の広い人、常識のある人といつも接しているようにしましょう。

このことは、いくら強調しても強調しすぎることはありません。

2016年03月07日

「意味」を見出す

どんな高価なものも、どんなに素晴らしい経験もそれに「意味」が見出せない時には、むしろ虚しさの源としかなりません。

反対に、いかに貧しく、つまらないものも、それに愛が込められ、または「意味」が見出せる時には、人の心を充たすものとなり得ます。

ところで、苦しみそのものは決して良いとは思えません。思えないから「苦しみ」というのですが、この苦しみにも意味があると知るとき、苦しみは担(にな)いやすくなります。

私たちの一生の間の絶え間ない課題の一つは、この苦しみに意味を見出すことといってもいいでしょう。

2016年03月06日

「当たり前」の有り難さ・・・当たり前が輝く

闇の中に置かれたがゆえに、それまで気づかなかった(知らなかった)さまざまの「明るさ」の有り難さがわかるのです。

それこそ「当たり前が輝いて」見えてくるのです。

病気、老い、苦しみ、悲しみ、辛い出来事は何らかの気づき(謙虚さ)を与えてくれる、神の恩寵であると捉えましょう。

こうした一見不幸に思える出来事が人の魂を成長させ、「当たり前」だと思っていたことに対する感謝の思い、いかに自分がこれまで恵まれていたのか、そして人の優しさなどが強く認識され人間性が高くなり、高貴な人間に生まれ変わることができるのです。

2016年03月05日

いつも楽しそうにしていましょう

人に楽しそうな顔をしてみせることは大変善いことであるばかりでなく、自分自身が愉快であることが、また自分自身にとって大変善いことをしているのです。

それは、「徳」を積んでいることになります。

第一、どんなにつまらないことがあっても、無理にでも顔つきをにこにこしていると、実際に自分の心が愉しくなってくるのです。

人間はたのしいと笑いますが、無理に笑っているとしまいにはたのしくなるのです。

だから面白くないとき程一層笑うようにすることが必要なのです。

「これは私の顔だから、勝手にふくれる権利がある」などというのではいけません。「これは私の顔だから、人が何をいおうが、外の世界に何が起ころうが、私は私の顔をたのしく笑わす権利がある」というように明るく暮らさなければなりません。

これは陰徳を積んでいることになり、後々自分に良いことばかり起こるようになっています。