2016年03月13日

あなたが今出している波動に注意・・・優雅な波動が豊かな現実を創る

優雅な心、優雅なプログラムや信念、優雅な脳、優雅なしぐさ。あなたから生まれる、こういった【優雅な波動】が豊かな現実を創ります。

まだまだ【自己】(=あなたの正体)のことを、この目で見える[肉体的個人]のことだと思い込んでいる方が多いようです。肉体は借りているだけですから、その肉体を存在させていくための【波動】の質(個性)を、本当の【自己】である原点のあなたは自由に決めて創っていくことができます。

波動の種類、波動の【質】が現実フィールド(=肉体や時空間)を創っていくのです。

今、今、あなたから放たれる【豊かな質】の波動が、豊かな現状や状態に具体化するのです。モノや、お金や、人脈という[あらゆる領域]を通してです!

アセる心、アセる頭、アセる動作からは、アセるような現実が創られます。
時間が足りない!時間の余裕がない!お金が足りない!お金がない!○○が自分の人生にはナイ!○○の要素がまだ足りない!

今ここで、このような思いこみ(プログラム)をすると、すぐにアセる波動が創られ、アセる現実が具現化します。

何かを心配する、誰かを心配する、気にかける、そのことから心配の波動が創られ、すぐに心配せずにはいられない現実を創ります。

豊かさや貧困とは、実はモノやお金に起こっているというより、時間空間の【波動】に起こっているのです。

心や頭を優雅にするほど、波動の質が優雅な【高次】の波動になり、現実化が非常に優雅になめらかに起こるのです。

焦る心、アセるしぐさ、アセる脳になるほど、【低次】の波動ですから、逆にムダな時間がかかります。

以上のことをよくよく考慮してよい未来、よい現実(人生)を創造しましょう。

2016年03月12日

何が良い気分だと感じるかで、魂がどこまで成長したか測れる

「良い気分」は、あなたの魂が、あなた自身にいまの考えが真実だ、いまの言葉こそが知恵だ、いまの行動こそが愛だ、と教えています。

どこまで成長したかを測るには、何が「良い気分」かを考えればいいのです。
何が良い気分だと感じるかで、魂がどこまで成長したかが測れます。

無責任に行動し、他者を傷つけたり、苦しめたりするのが「良い気分」なら、あまり成長していないということです。

また、動物(牛や豚、鳥、また魚介類)などを、これは美味しいとかまずいとか言って貪り食ったり、グルメに夢中になっているのも、あまり関心しません。すべての生き物は、「生きたい」と思っているのです。このことに気づかずに、必要以上に食べたりしている人は魂が成長しているとは全然言えません。

2016年03月11日

すべてはあなたに還ってくる・・・(与えたものが受け取るもの)

幸せになろうと思うなら、人を幸せにしてやりなさい。

豊かであろうとするなら、人を豊かにしてやりなさい。

もっと愛が欲しいなら、人を愛しなさい。

それも、真剣にすること。自分の利益のためではなく、ほんとうに人のためになろうと思うことです。

そうすれば、すべてはあなたに還ってきます。

2016年03月10日

すべての出来事は思考が創り出す

すべての出来事は思考が創り出すもので、それは意図した結果の現れということです。

という訳で、意図して思考を集中すれば、それを現実化することができます。

ところで、創りだした結果を経験する速度ですが、物質的な生命の世界では、思考と経験の間にはズレがあります。しかし、霊の領域では、そのズレがありません。結果は即座に現われます。

そこで、この世を去ったばかりの魂は、注意深く思考を監視することを学びます。考えたとたんに、それが実現するからです。

「学ぶ」という言葉を使いましたが、これは言葉のあやで、「思い出す」といった方が正確でしょう。

さて、物質的な世界の魂が、霊的な魂と同じくらいすばやく効果的に思考をコントロールする方法を学ぶと、人生はがらりと変わります。

個々の現実の創造に関しては、思考のコントロールがすべてです。

集中力、持続力、そして、信念力がとても大事です。

2016年03月09日

そうであるように行動する(そういう存在の波動で居る)

幸せになりたいなら、裕福になりたいなら、愛されたいなら、既に幸せなように、既に裕福であるように、既に愛されているように行動すれば、そうなれます。

これは、「そのふりをする」、に近いことですが、何でも行動は真剣でなければなりません。

これは、私たちが勘違いしている、所有・・行為・・存在というパラダイムを、存在・・行為・・所有という宇宙の正しいパラダイムを正しく使って、宇宙の創造的な力を働かせることです。

この原則を要約すると、こうなります。つまり、「人生で、しなければならないことは何もない。問題は、「何であるか、どんな存在であるか」ということだけです。