2016年11月03日

縁に身を任せて生きる

「花は無心にして蝶を招き、蝶は無心にして花を尋ぬ」

これは良寛の歌です。花も蝶も、あれやこれやとより好みするわけでなく、無心に互いに戯れています。

あれやこれやと賢(さか)しげに選ばなくても、世の中には自然の縁があります。出会うべきものは出会い、離れるべきものは離れていきます。

すべてが縁であり、すべてが自然、大自然の運行や縁に身を任せて生きる。こうすれば、心が揺れ動くこともなく、苦しむこともなく、安らいだ日々を送ることができるのです。

こうした日々を送ることができたらなんと穏やかで素晴らしいことでしょう。

2016年11月02日

無事これ名馬

「無事これ名馬」といいます。競馬では、どんな名馬も骨折してしまえば、その場で安楽死処分されます。これになぞらえ、ビジネスマン人生も「無事これ名馬」と称されます。同期の出世コースのトップを走ってきた人でも、病に倒れ、やむなく前線をしりぞくケースは決してまれではありません。

結果的に、健康に配慮し、ケガや大病をしないで働き抜いた人が人生コースも出世コースも登りつめていくことになります。

命をけずるような働き方は賢明ではありません。つねに少しの余裕をもって生きていくことを心がけましょう。「あくせく」よりは「ゆっくり」がいいのです。「じたばた」よりも「粛々と」です。このほうが効率が上がり、達成する目標も高くなります。

「無事」は禅によく登場する言葉で、一般の意味とは少し異なり、禅では、人のたくらみなどから離れて、自分本来に戻った状態、つまり、あるがままの自分である状態をいいます。人の思惑やたくらみにとらわれない真の自由を得た人、といってもいいでしょう。

2016年11月01日

心は万境に随って転ず

楽しい、悲しい、うれしい、苦しいというような思いは、煩悩があるからこそわいてくる感情です。

よく考えてみれば、楽しい、悲しい、うれしい、苦しいという感情にはなんら実体がありません。

心が喜怒哀楽を繰り返すのは、時にしたがい、縁にしたがって、心が動くだけのことです。実体と呼ぶべきものはありません。

そうであるなら、喜怒哀楽にこだわる必要はありません。だから無感動に生きなさい、ということではありません。喜びも悲しみも、心が縁を得たときだけのものです。すぐに無に帰すものであるから、喜ぶときには心から喜び、悲しいときには心の底から悲しむように、ということです。

愛も同じです。人を愛するときには、心のかぎりを尽くす。けれど、そこに執着をもってはいけません。

相手がどう思おうと、心変わりをしようと、仕方がありません。心が転じるときには転じるままに受け止めます。

できることは、つねに目の前のことをせいいっぱい感じ取り、せいいっぱい取り組むことだけなのです。

2016年10月31日

より好みしなければ悟りに達する

憎いとか愛しいという感情も、区別する思いがあるからこそ起こるものです。いっさいを区別することがなくなれば、どれが嫌い、どれが好きという思いがなくなります。

よい悪い、好き嫌いを区別しないことは、想像以上に難しいことです。

私たちは、あれこれ選びながら生きています。より好みをしないで生きることは、煩悩に惑わされることもなく現実をあるがまま、流れるままに受け止めて生きることに通じます。

悟りへの道は決してむずかしいものではありません。

ただ、取捨選択、あれはいい、これは嫌いというようなことではいけません。取捨選択さえしなければ悟りの道に達することは容易なことです。

2016年10月30日

悪い面ばかりに捕われてはいけません

自分が今いる環境に不満ばかり言うのではなく、そこにある楽しみや恵や感動を探す努力をする方が、しあわせに生きていけます。

なにごとも悪い面ばかりに捕われるのではなく、いい面を発見することで、自分の価値観を変えられ、イライラする気持ち、不満な思いがなくなっていきます。